ケネディ・ダラス・鉄の爪・・・ケビン、デビッド、ケリー | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

ケビン・フォン・エリックは1957年5月15日、イリノイ州ベルビルの生まれです。あれ、ダラスじゃないの、と思うんですが、当時、父親フリッツ・フォン・エリックはアメリカ北部をホームリングとしていました。ケビンが生まれた日、フリッツは試合に出ていません。待望の次男誕生に試合を休ませてもらったのでしょう。ご参考までに近いところでは、ケビン誕生6日前の5月9日、インディアナポリスでバディ・ロジャースと闘い、敗れております。

 

ケビンのプロデビューは76年8月10日のダラスで、ポール・パーシュマンを破りました。パーシュマンは後のバディ・ローズです。ここで約1年のブランクがあります。プロ第二戦は、77年10月11日のダラスで、パートナーをジミー・スヌーカに、キラー・ティム・ブルックス&ブル・ラモスを破りました。

 

約1年以上のブランクとは何なんでしょう。わかりません。今後の課題とさせていただきます。

 

デビッド・フォン・エリックは1958年7月22日、テキサス州ダラスの生まれです。この時期、フリッツは故郷テキサスに戻ってきていました。が、北部ミネアポリスにもスポットで参戦していて、この日はワルドー・フォン・エリック&ハンス・ヘルマンと組んでブロンコ・ナグルスキー&イリオ・デパウロ&ブッチ・レヴィに敗れております。

 

デビッドのプロデビューは77年7月25日のダラスで、パートナーをスキップ・ヤングに、モハメド・ファルーク(アイアン・シーク)&ブル・ラモスを破りました。

 

ケビンとデビッドは79年5月25日から6月14日までの全日本プロレス・スーパーパワーシリーズで初来日しました。シリーズ参戦中、グレート小鹿&大熊元司の持つアジアタッグ王座に挑戦しましたが、敗れております。

 

ケリー・フォン・エリックは1960年2月3日、ニューヨーク州バファローの生まれです。バファローはこの時期のフリッツのホームリングですね。当時のバファローのフィルムは68年11月から関東地方で放映された「プロレスアワー」で見ることができました。現在もユーチューブで視聴可能です。あの白黒場面のフリッツは、ケリーが生まれた頃のフリッツなのです。ちなみにこの日、フリッツはオハイオ州トレドでユーコン・エリックと闘っております。結果はわかっておりません。

 

ケリーのプロデビューは79年6月17日のダラスで、ゲーリー・ハートを破りました。日付にご注目下さい。2人の兄の日本短期武者修行の直後です。しかし、2人の兄は試合に出ていません。6月中は2人の兄の露出を抑え、7月に入って3兄弟揃い踏みです。つまり、6月中はケリーに、ファンの耳目を集中させたのです。

 

そしていよいよ7月2日。フォートワースでの3兄弟揃い踏みはの相手は、マーク・ルーイン&ザ・スポーラー&ブルックス&ゲーリーとの8人タッグ。エリック兄弟側が一人足りませんね。ご心配なく。エリック一家の客分、天下のブルーザー・ブロディ様が加わりました。