懐かしのエッセイ・・・フリッツ・フォン・エリック | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

フリッツ・フォン・エリックのファイトを見たことがない人でも「鉄の爪」というニックネームを聞いたことがない人はいないであろう。「人間風車」ビル・ロビンソンと並んで必殺技がニックネームになった数少ないレスラーだ。驚異的な握力によるクロー技は全盛時の馬場、猪木を大いに苦しめた。あれほど単純な技で、あれほど客を呼んだレスラーは空前絶後であろう。

 

日本武道館は、東京オリンピックにあわせて1964年に完成した。外人タレントで初めて武道館を使ったのは66年のビートルズ。同じ66年、日本プロレスも武道館に初進出、そのメインは馬場対エリックのインターナショナル選手権であった。

 

当時猪木は東京プロレスのエース、武道館進出はオポジションに対して差をつけようという日本プロレスの意志の表れだそうだ。

 

この試合、後になってビデオで見た。エリックが右手を上げると1万数千人全員がシーンとなって凝視するという、する今では考えられない凄味のある試合だ。

 

1本目馬場がエリックをフォールするが、スリーカウントとられた直後、エリックの右手が馬場のこめかみに食い込む。インターバルの最中にもエリックは馬場を放さない。エリックの指と指の間から血がダラダラと流れる。そのまま2本目に突入し、2本目はエリックが取る。そして3本目は反則だかリングアウトだかで辛うじて馬場が防衛、という試合であった。

 

エリックは猪木相手にも凄い試合をしている。猪木日プロ離脱直前の71年秋、札幌でのUN戦、エリックのストマック・クロー(胃袋掴み)に猪木は悶絶、辛うじてロープに逃れる。レフェリーのブレイクの声を聴いてエリックは猪木の腹を掴んだまんま、リング中央に運んだのだ。猫の首根っこをひょいと持ち上げる要領で。ただもう「エーッ!」って感じであった。

 

もう1戦、対大木戦についても述べておきたいと思う。日プロ崩壊1週間前の大阪でのインターナショナル選手権。まれに見る壮絶な流血戦だった。まばらな観客にノーテレビ、両者の意地のみの戦いだったようで、ビデオにとってあったら是非とも見たい。本来はこういうのを「デスマッチ」というべきなのであろう。

 

エリックをテレビで初めてみたのは68年秋に東京12チャンネルで始まった「プロレス・アワー」という番組(過去のフィルムを流ししてた)で相手はボボ・ブラジル。2回やってエリックの1勝1分であった。「あのブラジルが勝てないんだ。」といった感想をもった。

 

実物を初めて見たのは70年3月の台東体育館(東京都)でのインター・タッグ戦。パートナーはキング・イヤウケアで、チャンピオン・チームは馬場、猪木組だ。この試合BI砲の作戦はクロー封じ。アイアンクローの空振りをきっかけに掌にストンピングの雨あられ。とどめは腕ひしぎ逆十字、猪木がエリックからギブアップをとる。私が日プロを見た4年余りの間で、セミ以上の試合でこの技が決まり手となったのはこの時だけだと思う。リングに立つだけで見るものを身震いさせたエリック。まだ何もわからない小学生の背中を寒くさせるものがあった。後年息子を失う度に葬儀の席でうなだれる初老の紳士は同一人物とは思えない。ちなみにこのシリーズ、エリックはまだ小学生だったケビンを帯同している。

 

85年秋、猪木がこのケビンと組んだ対木村健吾、武藤敬司組戦は、キラー猪木の本領発揮、見る者を身震いさせた試合で、そんなところに猪木とエリックの因縁を感じる。

 

ルー・テーズ、その他の証言によるとエリックは性格が悪く、レスラー仲間にはかなり嫌われていたようだ。性格の悪さ故、テーズはエリックにNWA世界ヘビー級タイトルを渡すのを拒み、新王者キニスキー誕生の遠因になったとか。あの凄味も性格の悪さによるところもあるかもしれない。というよりも、性格がよかったらあの凄味は出ないであろう。しかし、その割りには馬場とは仲がよかったようだ。

 

75年エリックはNWAの会長にはなった。我が祖母は、全日本プロレス中継を見ていてエリックのNWA会長就任のニュースを聞き、喜んだ。祖母にエリックの会長就任を祝福するという発想はない。

 

「会長になったということは、引退したということだからもう日本に来ない。あいつは暴れるし怖い。見なくて済むと思うとほっとする。」祖母はビル・ロビンソンのファンであった。老人ファンに嫌われれば、ヒール(なんてことばは当時一般的ではなかったけど)としては超一流だ。

 

息子たちのファイトは何度か見たが、格好だけのクローはいただけなかった。「握力って必ず遺伝するものなのかね」なんて突っ込みを入れながら見ていた。でもどう見ても「凄味」が遺伝するものでないことはわかった。

 

注:インターナショナル選手権、UN選手権は今、全日の三冠選手権に、インター・タッグ選手権は今、全日の世界タッグ選手権になっている。

 

(1996年頃に書いたものです)