マフィアとプロレス | 続プロシタン通信

続プロシタン通信

プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

(バロン・ミシェル・レオーネ)

 

 

「マフィア」とはそもそもはイタリアのシチリア島を起源とする組織犯罪集団です。組織犯罪集団の代名詞的存在であるため、「チャイニーズマフィア」や「金融マフィア」など比喩的に使われることもあります。

 

77年3月、海外武者修行中の天龍源一郎が、アメリカ短期遠征中だったジャンボ鶴田と組んだ試合が日本テレビから流れたことがありました。相手ティーム名は「ザ・マフィア」でした。考えてみると、いくらヒールとはいえ、よくつけますよね。日本で、ヒールユニットに「リアルヤクザ」なんてつけませんでしょう。

 

これって日米の、非社会的組織に対するスタンスの違いが出ていると思うのです。

 

力道山が「興行」を打っていくしがらみもあってヤクザとの付き合いがあったことは知られています。入場料売り上げが資金源になっていたのも事実でしょう。ならばアメリカはどうなのか。

 

特に第一次世界大戦期から20年代にかけての、プロボクシング史やプロ野球史で、マフィアなど非社会的組織絡みの話、よく出てきます。ワールドシリーズが買収されていた「ブラックソックス事件」なんて、有名です。非社会的組織との関わりは、勝敗に対する賭けの部分から発生するようです。つまり、大番狂わせを演出し、オッズを狂わせ、大漁節の大合唱を目的としているのです。

 

ところが、この時代のプロレス史にその類の話が出てこないのです。なぜでしょう。

 

「やはり、プロレスは市民権を得た、良識のスポーツだったんだ。きっと馬場さんのようないい人がプロモーターをやっていたんだ。プロレス万歳!」

 

そんなお子チャマ以下のことをおっしゃる方はいらっしゃらないと思います。

 

1921年7月2日、ニュージャージー州ジャージーシティのボイルズ・サーティ・エイカーズで行われたボクシング世界ヘビー級選手権、ジャック・デンプシー対ジョルジュ・カルパンティエは9万1千の観衆と、178万9236ドルの興行収入を集めました。手がけたのはボクシングプロモーターの代名詞ともなったテックス・リカードです。

 

20年代のプロレス界はといえば、元々はボクシングを手がけていたジャック・カーリーを中心とするプロモーター集団「トラスト」と、エド・ストラングラー・ルイスら「ゴールド・ダスト・トリオ」のせめぎ合いの10年でした。

 

ちなみに、「ゴールド・ダスト・トリオ」結成時、彼らを支援していたプロモーターは先に述べたテックス・リカードです。しかし、この10年間、語り草になる名勝負はありますが、興行収入の話は出てきません。また「賭け」についての話もほとんど出てきません。あったとしても、20年1月のジョー・ステッカー対アール・キャドックがオッズを狂わせ、ギャングを怒らせたとか、28年2月のエド・ストラングラー・ルイス対ジョー・ステッカーには「賭け」が生じたとか、ボクシングに比べればスケールが小さい話です。

 

100万ドルはおろか、10万ドルを超えた史上初のプロレス興行は、デンプシー対カルパンティエから20年経った、1952年5月、カリフォルニア州ハリウッドのギルモア・フィールドで行われたルー・テーズ対バロン・ミシェル・レオーネのNWA&ロサンゼルス地区世界ヘビー級選手権統一戦です。ちなみに、これが「賭け」が生じた最後のプロレス試合だったという向きもあります。

 

以上、私が述べてきたことの中に、アメリカのプロレス史にマフィアなどの話が出てこない答えがあると思います。もちろん、個人的に関わりがあったレスラーなり、プロモーターなりはいたでしょう。しかし、日本と異なり「関わり」が構造化していないのです。

 

私なりの分析ですが、プロレスはマフィアが関わるほどビッグビジネスではなかった、ということだと思います。これは、20年前後に「賭け」が成立しなくなった、理由としてその少し前から、プロレスの勝敗のシステムが本質的な部分で変化していたため、ということなのではないでしょうか。