ボボ・ブラジルの政治経済学・・・麻薬に溺れたリプスカム | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

 

 

 

ビッグ・ダディ・リプスカムを知ったのは1968年から少年キングで連載されていた「ジャイアント台風」の一場面からです。

 

「カーフューの罠」に陥って対ブルーノ・サンマルチノ戦に不当な判定で敗れたジャイアント馬場はうなだれて夜のニューヨークをさまよいます。そして、バーのカウンターでヤケ酒です。と、そこにボボ・ブラジルがやってきました。「まあ、腐るな」と、有色人種(ボボだけではなく馬場も含むのは当然)に対する業界内の不当な差別の話となります。その中で出てきたのがリプスカムの転落譚だったのです。ボボが馬場に語るには、

 

「黒人への差別意識とリプスカムの強さを恐れてある有力なプロモーターが、お抱えのレスラーでNWA王者のバディ・ロジャースを守るため、頭は弱いリプスカムを転落させるために麻薬を教えた。リプスカムは身を持ち崩し、淋しい死を迎えた」

 

と、いったところでした。

 

「ジャイアント台風」ではぼかされていた「ある有力なプロモーター」は、七〇年頃入手した「ビッグプロレス」という子供向けカストリ雑誌では実名が暴露されていました。シカゴのプロモーター、フレッド・コーラーです。

 

この話は当時、あちこちで流れていたようです。しかし、当時のプロレス界の状況を知ると、私はこの話が荒唐無稽であると判断しました。

 

リプスカムは1931年8月9日、アラバマ州ユニオンタウンに生まれました。身長198センチ、体重136キロ。53年プロフットボールのロサンゼルス・ラムズに入団し、56年にボルチモア・コルツ、61年にピッツバーグ・スティーラーズに移っています。六〇年、鳴り物入りでプロレス入りし、以来、夏はプロレス、冬はアメリカン・フットボールを兼務していました。プロレスでは連勝街道をつっ走ります。フットボールではラフ・プレーヤーとして有名でしたが、プロレスではベビー・フェイス側の控室から入場してきました。

 

「私は、リプスカムと闘ったことはないが、いっしょにトレーニングした。ジョー・マルセウィッツは奴に、『君はレスリングができるね。』とオダテた。リプスカムは素晴らしいフットボーラーであり、ナチュラルなアスリートだった。でも奴が一番好きだったのは夜遊びだったよ」

 

というルー・テーズの言葉にある通り、リプスカムはサンフランシスコのプロモーターであるジョー・マルセウィッツの誘いでプロレス入りしました。

 

まず、60年2月にカリフォルニア州でデビューし、3月はモントリオール、4月はシカゴ(クイン派)。5月にカリフォルニア州、シカゴ(クイン派)、ミネソタ州を回った後にオレゴン州。6、7月はホノルルとシカゴ(クイン派)と売れっ子です。まったく世界王者並みのスケジュールです。

 

六一年は四月に五大湖周辺で闘った以外は、二月から七月までカリフォルニア州。前年もそうですが、弱い対戦相手に圧倒的な強さで勝つアトラクション的な試合が少なくありません。力道山の日本プロレスに来日できたとしたら、このタイミングでした。しかし、来日は実現しませんでした。

 

リプスカムが回ったコースに、コーラーとの提携エリアはありません。つまり、リプスカムはロジャースと闘うことのない反対勢力の新人だったのです。そんなリプスカムを、麻薬を教えてまで弱くする必要は常識では考えられません。

 

六二年春、シーズンを終えたリプスカムにプロレス界は声をかけなかった。というのは、リプスカムを業界に引っ張り込んだマルセウィッツはプロモーター稼業から足を洗い、熱心に売り出したエディ・クインも仕事に情熱を失ってモントリオール地区はルージョー一家に実権が譲りつつあったからです。暇になったリプスカムはウィスキーに溺れていきます。

 

六三年春、リプスカムの生活は更に荒れていました。そして五月一〇日、ヘロインのやりすぎで意識を失い、永久に目を閉じたまま31年の短い人生を閉じました。

 

コーラーとロジャースは「我が世の春」を謳歌していたのはこの頃まででした。その63年の1月に、ロジャースがNWA王座から滑り落ちるとコーラーはNWAを脱退、以後、シカゴマット界は尻すぼみになり(復活は65年にディック・ザ・ブルーザーが手がけるようになってから)コーラーは業界からフェードアウトしていきます。

「奢れる平家は久しからず」の喩えあるが如く、六〇年代前半、後半になるとコーラーはすでにこの世になく、またロジャースもセミリタイア状態でした。おそらくコーラー=ロジャース・コンビを揶揄するための、面白半分のジョークが彼らを嫌っていた業界人を中心に広まり「リプスカムを陥れたコーラー」という話になったのでしょう。

 

ただ、アメリカの社会心理として、そんな話になってしまうのは「成金的にのし上がった黒人はややもすると、カネの使い方を知らずに自滅していく」というのもあると思います。もちろん、それは黒人に限ったことではなく、また、モハメド・アリのように政治や宗教に目覚めるものもおります。が、プロレス界にはモハメド・アリのような目覚める黒人は出現せず、うまく行ったとしてもボボ・ブラジルやルーファス・ジョーンズのように"Tomming"(愛想のいい振る舞い)が精一杯だったように思います。