合掌:ロード・リトルブルック選手 | 続プロシタン通信

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プロシタンとはプロレス史探訪のことです。

20世紀の末、一部で話題となりました「プロシタン通信」の続編をブログの形でお送りします。

ロード・リトルブルック選手(本名エリック・トヴェイ)が亡くなったという知らせが昨日入っていました。

 

 

 

 

87歳でした。 ミゼットレスラーでした。日本にとても縁がある方です。来日もされています。

 

1962年、故人やスカイ・ローローも含め一緒に10人の選手団が一挙に日本に来たという、世界的にも類を見ない状況でした。

 

日本人ミゼットレスラー、リトル・トーキョー(本名:赤羽根某)の師匠でもありました。 弟子思いのあまり、1978年12月6日付のカンザスシティ・タイムズに、見るに見かねて意見広告を出したことは、当時、話題にまりました。どんな内容かといいますと、ミズーリ州セントジョセフ在住の赤羽根は永住許可がなく、ビザが切れそうになると申請していて、この繰り返しがかわいそうだと「永住権を与えるべきだ」というものでした。ただ、世間は「永住権の前に、市民権を取るのが先だろ」と冷ややかだったそうです。 ご冥福をお祈りします。(9月11日)

 

1962 05-12 会場:台東体育館 観衆:7000 主催:玉井芳雄

タッグマッチ60分3本

リトル・ビーバー(カナダ)、スカイ・ローロー(カナダ) (2-1)リトル・プルーク(ドイツ)、ファンジー・キューピット(アメリカ)

世界選手権トーナメント15分1本

パンチョ・ロペス(メキシコ)(4:15体固め)ブラウン・パンサー(フィラデルフィア)

アイリッシュ・ジャッキー(カナダ)(時間切れ)タニー・チム(イタリア)

ファーマー・ビート(アルゼンチン)(7:09体固め)アンディー・モアー(フランス)