■ 序章
ちょっと過激な本多勝一ですが、友達が好きで、私も本を借りて読んだことがあります。
それとは別で、日本語を書く上での良書と紹介されていたのを見たことがあって、気になっていたのですが、大きな本屋さんで見つからなかったことがあって、なかなかチャンスがなく。
今回、近くの本屋さんで取り寄せてまでして入手したのは、最近コミュニケーションに悩んでいて、「話し方」の本をいろいろと読んでいたところ、「話し方」と来たら「書き方」だよなぁ、と思ったので。
私だって書くときは、何食わぬ顔をして実は結構考えている。そして、自分なりの理論もなきにしもあらずだ。だから、こういう本を読むと、下手に影響されてしまうんじゃないかなぁと思い、ちょっと避けていたところはある。
でも、より良くなるためには、多くの本を読み、本質を見抜き(或いは、自分が本質と思う部分を記憶し)、また自分なりの理論を再構成することだ。それに、他の人が既に読んでいて、「当たり前」と思っていることは、知っておいたほうがいい。
■ 概要と雑感
この本では、文学的な意味の作文ではなく、他者に「分かり易く」伝えるための作文について紹介している。(えつは、かなり耳が痛い。)
1. 読点の打ち方
読点の打ち方については、例文を掲示し、読者と共に法則性を見出すという方法で、提案している。むやみに打ってはならない。
2. 日本語にとっての主語・述語、英語にとっての主語・述語の在り方
英語を語順そのままに翻訳したがために、日本語としては誤解を受けやすい文章を書く人が多い。そもそも、言語の重きを置く点が異なるので、直訳が通じないのは当然のことである。
3. 符号の用い方
・「」内は原文をそのまま引用すること。そのままの引用でなければ、「~というように受け取られた」などと、"自分"がそのように感じたというように表現する。
・""は、自分はそうは思っていないが、というニュアンスを含めるために用いる。
4. 漢字と平仮名
とにかく「分かり易く」が重要なので、漢字の連続、平仮名の連続は避けること。「一つの文章内でこの言葉はこの漢字で書くことに統一する」といったルールを決めてしまうと、漢字の連続が発生したときに、結果として読者にわかりにくい文章となってしまうので注意が必要。
5. 段落、改行の意味
意味の単位で段落を区切ったり改行したりすること。読点と同じく、むやみに打ってはならない。
6. 「文章が笑っている」(本多勝一が文章を読んだときの感覚的な表現。)
・過去の流行に乗っ取った紋切型の表現。
・いかにも読者を笑わせようとし、自分自身が先に笑ってしまっている表現。(えつはオノマトペの濫用を「マンガ的表現」と感じた。)
・「~と思う。」「~です。」「~のだ。」の繰り返し。(繰り返しているので、見苦しい)
■ 久しぶりに本多勝一の本を読んで思い出す。正しさとは何か?
ちょっと過激な、この本の例文。えつは最近は、どうしたら万人受けするかを考えていて、その場合は、イデオロギー(信条)に関する話題をしてはならないということがある本に書いてあった。どうして本多勝一は、万人受けしない、「イデオロギー」について突っ込んだ書き方をするのだろう?
それは、本多勝一が「愚かだ」と思った社会に対して、警鐘を鳴らしているからではないか?(当たり前の結論だが。)
■ 愚行の例
男性と話していると「美学に基づいて」という言葉をよく聞く。愚行に走ったとき、その時はどうしてそのような選択をし、行動したのかがわからないことがない?
例:
(愚行の後)
「どうしてやっちゃいけないの?」
→「やっちゃいけないから」「それをやるとカッコ悪いから」「見苦しい」
→「でも、そういうのやっちゃいけないってルールはないじゃない?」
→「ダメなものはダメだ!とにかく直ぐにそれをやめろ!でなければ家族(or 友達 or 同僚)ではない!!!」
→納得していないと愚行を繰り返す。
結論を言うと、客観的に自己評価が出来ていないのである。
■ そこで、別の本「他人を見下す若者達」(速水敏彦著)概要
エラぶっている人がいる。他人を低く表現し、自分を持ち上げようとする人がいる。その人は、本当にエラいのか??
自尊感情と仮想的有能感がある。前者と後者は異なる。前者は、実際の自分の経験の裏づけがあっての自信から来る自尊心。後者は、「他人を見下す」ことで、実際にはそのような裏づけはないのにもかかわらず、自分をエラい、スゴいと思わせる、思っている状態である。客観的に自分を評価できていないのだ。何かあったら人のせいにする、無責任、他人への無関心。常に「他人」が悪いので、反省・成長する余地もない。(上述した「愚行を繰り返す」状態)
■ 感想
解決方法は、秩序。やっぱり、対等な社会というのは、幻想に過ぎない。上の立場の人間が叱る。下の立場の人間が、上位の者に苦言を呈し、上位のものはそれに耳を傾ける。上下から互いに対立することを意見している場合は、いつまでそれをやっても限りないので、秩序に従い、上位の者の意見を採用する。(下の者が一歩引くというルール。)前提条件は、納得感のある秩序構造であること。どちらかの意見が採用されたときは、多数が納得した状態にすること。
ちゃんとしたWin-Winの関係を保つには、感情は抜きだと思う。好きか嫌いかではなく、正しいか否か。ただ、やはり、正しいか否かだけで判断できない人が多いのが現実だ。それに、直ぐに法に結論を見出そうとする訴訟社会なんて、息苦しいでしょう??だから、秩序が必要。
■ えつの実践
えつは忘れていた。自分は愚かだった。また、愚かな周囲に目をつぶってきた。でもやっぱりこれではいけないと思い、自分を反省し、意見もしてみた。はっきりと直ぐ見える効果が出るとは限らない。自分も他人も、愚者のままなのかもしれない。でも、それに気づき、気づかせること、そしてそれらを繰り返すことが、「美学」へ一歩でも近づけるための方法なのではないか?と、真面目なことを考えた。