2011年10月末に、「モンスター上司」という映画が日本で公開されました。

HORRIBLE BOSSES が原題。

 

 

日本語訳もコミカルでありながら、パワハラ、セクハラ、バカハラという流れも上手な切り口。

映画公開から10年経過した昨今、

2020年6月(大企業)パワハラに関する法律、パワハラ防止法が施行された。

2022年には中小企業も対象になりますね。

 

ハラスメントは、いじめ、嫌がらせ、もっと言えば人権侵害につながる。

専門的なことはGoogle検索に任せます。

 

近年では、パワハラを克服した経験をまとめた書籍が注目されたりと、多くの人が大小なりともハラスメントに関しては、自分も悩んでいるのだと思います。

ちょっと前に流行ったドラマ「半沢直樹」にしても、高視聴率にはドラマの面白さや役者さんたちの演技の上手さ、結末の痛快さがある。それと同時に、悪役と責められる役が入れ替わってしまう展開も脚本の上手さかもしれません。

もうひとつ、「鬼滅の刃」を観ても、残酷でハラスメントがあふれているアニメでありながら、子供世代から大人まで視聴し虜になっている。ただ、背後にある鬼になってしまった、つまり加害者になってしまう理由が、私たちそれぞれの心の奥底に潜んでいる怒と哀の片鱗に触れてしまうので、一瞬自分だったら・・・と、考えてしまう場面も多い。

上記の2つの作品に関しては多くの論評と解説、考察があるので深堀は避けますが、ハラスメントは私たちの心の隙間にあり、何らかの被害や経験を基に、いつしか自分がハラスメントの加害者に変身している瞬間があることを示唆してくれるのだと思う。

 

以前勤めた職場に、情熱的で多忙な部長がおりました。目標達成のために発破をかけ、営業担当者は契約がおぼつかないと詰問をしてしまう。ただ、本人は詰問しているつもりはなく、単純に途中経過が把握できないので詳細を知りたいだけ。詳細を確認する際に、鋭さが前面に出てしまい質問されている本人だけでなく周囲の人までもドギマギしてしまう。パワハラという単語が、心の共鳴のように声に出さずとも周囲にお経のように響く感覚を覚えている。

用事があり、その部長と会話していたら、彼曰く、みんなで契約をとることが大切、力を合わせることが大切。個人では契約がとれないクライアントばかりなので、自社の名前、役職では部長、本部長、社長までもをぴっばり出してクライアント先に交渉に行くことが大切、なんだって協力するのだと教えてくれた。確かに、それはとても心強い。そのことが部下たちにうまく伝わることを切に願った。

そして彼の過去の上司とのやり取りも話してくれた。

金融関連会社に所属していたころ、金融商品の品質管理、機密管理を担当していた頃、上司がとても厳しく、日々契約書の内容について詰問され、その確認に日々疲弊していた。仕舞いには感覚がおかしくなってきて、無意識に自分の手の甲をペンや鉛筆で刺す癖がついていた。本人は無意識なので傷跡は気にしていない。奥さんに指摘されて、びっくりしたという。傷を指摘されてしばらくの間は休養。そして、現在は部門の責任者として取りまとめることになっている。

話を聞いていて、過去の上司とのやり取りが今に影響しているのだと思った。

不思議なもので、私自身も今まで上司として従えた方々を思い出せば、私も今仕事をする上で意識的にも、または無意識的にも、模倣していたり参考にしていることを思う。

 

以前、広告代理店に勤めていたその人に、いままでであった上司ですごいと思った人は?と聞いたことがある。

彼女は、プレゼンが上手で仕事を高確率で獲得できる上司がいたことを紹介してくれた。その上司は、思考も、判断も仕事も早い。クライアントからは信頼される。

ただ難点は、彼のことが嫌いだった。理不尽な厳しさもあり理解できないこともあったという。と言いつつも、部下であった本人も、仕事ができてプレゼン能力も高い。理不尽なことはしないのは、その上司を反面教師にしているからだという。なるほどである。

 

さて、私たちの周りにいる「モンスター上司」たちはどうでしょうか。

そのモンスターたちのハラスメントと捉えてしまう行為にも動じない部下たちがいることに気が付くこともある。その部下たちがただのイエスマンかと言えば、そうではない時もある。いろいろな関係性があるので一概には言えないが、モンスター上司は次のモンスター上司を育成している可能性もある。モンスター上司たちの過去を知ることも興味深い。

 

と言いつつも、私たちがそのような人々といてストレスと感じるのであれば、モンスター上司の性質は変えることが出来ないので、私たちから回避する手段を探すしかない。

法律の施行によって、社内で守ってくれる体制がなければ、社外に頼ることが賢明。

モンスター上司を見極めるのは時には困難である。熱血漢で、仕事ができて、会社の売上を背負っていることもある。

時代は刻一刻と変化している。日本でも30年以上前は好景気で何でもありのような風潮があり、社員教育自体がパワハラ教育だったかもしれない。営業の士気を上げるために合宿で飲み食いさせながら、戦争に行くかのような研修という名の特攻訓練もされたり、街中では見知らぬ人に名刺を数百枚配ることをノルマにされたり・・・すべて、会社の売上を上げて、社員の給与を上げるためでもあった。

だけど、時代とともに進化することで、近年ではSNSでの安全で正当な営業行為もなされ、サービスをしっかりとウェブ上に掲載したらクライアントからの問い合わせで仕事が成立時代になってきている。

 

いずれにしても、ハラスメントは避けたい。避けたいけど、争いごとと同じでちょっとしたきっかけで被害者と加害者が発生してしまう。また、加害者がいつの間にか被害者になったりと分かりにくいケースも多い。ネット上の誹謗中傷もその一つで、コメントしている加害者は本質的に悪質な場合が多いが、ちょっとした気持ちで発信してしまった、という人もいる。

難しい社会課題であり、奥深い難題である。解決に関しては専門家に委ねたい。

天空の城、と思ったときに、思い浮かぶのはどのような光景だろう。

宮崎アニメが好きだったら、「天空の城ラピュタ」がまず思い浮かぶだろうか。

または、世界的な遺産であるペルーの「マチュ・ピチュ」でしょうか。

マチュ・ピチュには、現在、ごみ問題、新空港建設予定、環境保全などいくつかの課題があるとのこと。

 

観光名所であり、世界遺産となると課題に対して、どのように対処し、今後どのようにしたら持続的に存在していけるのか考える必要があるのですね。

 

さて、

天空の城。

想像してみれば、雲の上にそびえる空間、建築。

どうして古代の人々を含め、私たちは上空を目指すのだろう。

 

1980年代の日本経済がバブルだった頃、

多くの建設会社が、空を突き抜ける超々高層建設物計画を発表した。

いずれも技術の進歩があれば実現できるものだと思っていた。

例えば、立中工務店のスカイシティー1000。

 

 

大林組のエアロポリス2001

https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/upload/img/030_IDEA.pdf

 

大成建設のX-Seed 4000

 

 

などなど。

 

バベルの塔ともいわれ、サグラダ・ファミリアとも揶揄された。

もっとも、宗教建築や権力者の建造物はその時代背景によっては実現してしまうので、

バブル全盛期の日本が、世界に自国の建設力、権力的な誇示を狙っていれば、今頃には富士山よりも大きな建造物が作られ、近年のIT技術で永遠に改修を進めていく、ある意味ではサステナブルな建造物を作っていたのかもしれない。

 

これからの時代、私たちは天空に何を求めていくのだろうか。

月面旅行はほぼ現実的になってきており、宇宙コロニー建設と居住空間もかなり現実的な構想になりつつある。

 

でも、私たちはそこに何を求めるのだろう。

この問いにはなかなか答えられない。

宗教観、思想などなど含めて考えていくことになるだろう。

また、純粋に地球という大きな生命体の一部であることを再認識したくて天空に上り、俯瞰したいのかもしれない。

 

飛行機に乗った時、雲の上に抜けたときの解放感は不思議である。

永遠に続くように感じる地平線、そして高速で移動しているのにもかかわらず永遠に変わらない風景。

 
空間体験は、実在的な場面でのみ体験できるわけではなく、近年のバーチャルリアリティの世界でも体感できるであろう。
私たちの脳で感じる空間は、疑似的であろうと、実在的であろうと、そこに存在するというレベルにそろそろ至るのではないかと思える。
そんな時代になってきて、ますます私たちの快適な環境とはどんなものなのか考えさせられる。
例えば、カプセルのような極小空間に入っていても、開放的で気持ちのいい空間として変換できたら、私たちは快適な生活、快適な仕事が出来るのだろうか。
ますます興味深くなってしまう。
 

 

 

 

 

私が生まれたブラジル連邦共和国には、ファベーラと呼ばれるスラム街がいくつも存在する。

都市計画が行き届いていない街で、そこに住み、生活を営む「貧困」の民を想像してしまう人が多いと思う。

1970年後半、私がサンパウロに住んでいた頃、そのような風景を目の当りにしており、東洋人が気安く訪問できるところではなかったと記憶している。

 

近年、サンパウロ州ディアデマ(Diadema)のファベーラが住人たちと行政の協働による都市計画が進み、バラックの住まいがコンクリートなどで作られた居住地に変貌してきた。

下記が市民たちの手で舗装されたマルガリダス通り地図。

 

10年の変化をストリートビューでみられる。街として劣化はしていないことがわかる。

この活動を通じて、1990年代の殺人発生率が、10万人あたり140人だったが、2008年頃には14人と減っている。

下記のようにラテンアメリカ版ハーバードレビューでその変遷が取り上げられた。

 

 

 

 

さて、都市や建築の話ではない、事例をひとつ。

ケニアでは、2007年から、M-PESAという送金システムが発達している。

日本では、2010年頃からQR決済、LINEペイなどの○○ペイの普及が拡大したといった感じだ。

ケニアでは、地方から都市に出稼ぎで出て、稼いだお金を家族に安全に送金するシステムとして発達した。

 

M-PESAの普及に関しては、下記のフォーブス記事が参考になる。

 

 

日本に生活しながら、開発途上といわれた国々に対して、私たちがいだくイメージはどうだろうか。

いまだにスラム街のようなイメージでしょうか。

 

インターネットの普及で、たいていの国は、現在の都市風景や経済状況は容易に知ることが出来るようになった。

YouTube、Twitter、FacebookなどのSNS経由で、またはグルーグルストリートビューを観れば、私たちが勝手に想像している風景とは異なることに驚くことがある。

 

SDGsの10番目の目標である、「人や国の不平等をなくそう」に則って、世界では各国間の経済的な平等は実現しつつある。インターネット技術の先にある、先進技術を屈指すれば、私たちは、どこの国にであっても、オンタイムに疑似的に訪問することが出来るようになってくる。

物理的な距離、時間的な距離はもう既に無く、さらには言語によるのコミュニケーションの距離は自動翻訳で、文化的な距離は人としての寛容さと相互理解の広がりで解消されていく。

 

10年後、20年後、その先に出てくる格差は国内、県内、地域内の貧富の差だ。

日本の富裕層のランキングが毎年のように取り沙汰され、反面、貧困にあえぐ母子父子世帯、若年者たちの存在も話題になる。ホームレス、生活保護課題、年金問題による高齢者貧困、ベーシックインカムなどなど。

 

2030年、2050年と区切りになる年代が示されているが、日本では未確定な自然災害による劇的な生活環境の変化も控えている。

その劇的な変化に耐えるためには、衣食住が必ず必要になってくる。もちろん、人と人のかかわりも大切である。

いつ私たちが、日本で生活しながら、予測していなかった自然災害が発生し、変わり果ててしまった街を目の当りにしたら、そこから復活できるのか。

それは、スラム街からの都市再生や、遠く離れたアフリカ諸国の都市や地域が、思い出されるのかもしれない。

 

 

近年の刑務所居室空間は改善され、囚人となった人々が生活しやすくなったといわれている。

例えば、凶悪犯罪者を収監したアルカトラズ刑務所や現在も同じような環境のフローレンス・スーパーマックス刑務所では狭く日が当たらない独房に入れられ非人道的な扱いを受ければどんなに凶悪な人でも自殺を選んでしまうといわれている。

人は空間に慣れ快適に生活することもできるし、空間の持つ力によって精神的に滅入ってしまうこともある。

僧侶の修行として、比叡山で行われる千日回峰行がある。山に入り、長期間戻ってこないという。そんな修行の中、寝る空間がもっとも心を揺さぶるようです。幻影を見てしまう、狂気に襲われるなど、恐怖となるいたる現象が襲い掛かってくるといわれている。

空間、環境が人に及ぼす影響は大きく、空間を捉える感覚は今後ますます発展していくバーチャル空間に私どもが入っていった場合どのように変化していくのか大変に興味深い。

 

参考図書

ロバートソマー 現代建築の反逆-タイトスペース-1982

 

2011年生まれの次男は、2016年頃、保育園卒業を控えていた時に、場面緘黙の症状が現れた。

場面緘黙と診断されたのは2018年12月。

また、2020年4月には、けいれん発作を起こし、検査の結果ローランドてんかんと診断された。

 

2008年生まれの長男にも、場面によっては言葉を発することが出来ない時期があったが、小学校の高学年には症状が緩和したように思えていたのと、ボーイスカウト活動を通してスカウト同士のコミュニケーションが出来るようになっていたので気にならなくなっていた。

 

場面緘黙症に関しては、

海外では下記の団体があり、活動内容を参考にしている。

 

 

 

 

 

 

 

日本国内では、「かんもくネット」の活動を参考にしています。