今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

主に古い鉄道写真をアップしています。ブログ内の画像はコピー・転載は一切禁止でお願いします。

 

最近は剣先イカの"ミコトイカ"ですっかり有名になった須佐には、私もその"ミコトイカ"を求めてだったり、キャンプだったり、魚釣りだったりなどで年に数回は訪れるとても思い入れのある土地です。 現役蒸機がまだ当地を走っている頃は、海に架かるコンクリート橋として有名な惣郷橋へのアプローチ基地として、須佐駅の"好月"と言う駅前旅館に何度か宿泊したこともありました。

この"好月"はとっても親切な宿屋さんで、次の日の昼食としてお弁当を持たせてくれたり、夕食に旬の新鮮な食材を出してくれたりとか本当に良い思い出しか残っていなく、宿泊した日は下駄を借りて夕食後に須佐駅の夜汽車を撮りに出掛けたり、朝食前に朝の通勤・通学列車を撮りにも行くことができました。

 

今回は、その"好月"旅館に泊まった日に撮影した写真を中心に須佐駅の情景を纏めてみました。

 

大刈峠に向け朝の通勤列車が須佐を猛然と出てきました

山陰本線 須佐 1973年12月28日

 

 

須佐駅で忘れることのできない思い出のひとつに1971年のお盆に、突然、夜行急行列車の如き編成を牽く長門区のD51が現れたことです。駅前はD51の吐き出す煙で視界が霞むほどで、駅前通りにいた私は、その煙で須佐駅に予定外の蒸機列車が到着している事を知りました。

時に1971年8月15日

画像は8mmフイルムからのキャプチャーです

 峠越えに備えて罐圧を上げているので須佐駅はD51の吐き出す煙で霞んでいます

 

予期せぬ蒸機列車に、駅前通りに居た私は一目散に須佐駅の発車の様子を撮影できそうな処まで息せき切って全速力で走りました。懸命に走ったために8mmムービはブレブレとなってしまいました(>_<)

 

先頭に10系客車のハネ2両を繋いでいるので一見すると夜行急行の編成に見えて、誰も知らない幻の山陰夜行蒸機急行を目撃したような気分です(^^

発車後は煙も薄く運転技術の高さを物語っています

以前この動画をYouTubeにアップしたところ一両目がオハネフ12で二両目がオハフ12だと教えて戴きました。御教授戴いたお二方には本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

 

DF50の牽く普通列車が須佐駅に到着しました

編成が長いために最後部の郵便車はホームからはみ出ています

1974年3月

 

 

静まりかえった構内にD51の息吹だけが聞こえます

気動車急行が光の線となって到着しました

1974年3月

 

夜の静寂を破るようにドレインを切り

D51が峠に大刈峠に向けて発車します

1973年12月27日

 

 

朝の通勤列車は編成が長いためにD51が乗降用通路を塞いでしまい、この列車に乗る男性二人が機関車の前を走っています。発車時刻間際に駅に着くと こうして列車に乗る事になります。

長い汽笛を鳴らして列車が動き出します。長い編成の列車の場合は、須佐で下りた重客は列車が通り過ぎるまで通路を渡ることができないのです。

1974年3月

 

JR化後 須佐駅には跨線橋ができて乗客も線路を渡ることはなくなりました。上りホーム(左側)の端は線路のカーブに合わせて曲線に切り取られているようですが、須佐駅は50年以上経った今でも当時の面影が色濃く残り、ここへ来るとあの頃の記憶が鮮明に蘇ってくるのです。

2010年8月22日

 

そんな色々な思い出のある須佐駅のことでした

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました