人と話してるときなんか
あるいは、自分以外の人間がいる環境に身をおいてるとき、
ふと、思ったりする。
これって自分なのかな?とか。
気持ちがうまくリンクしないというか、なんというか…
それと、
自分と全くかけ離れた(そう見える)存在を眺めて?いるときなんかに、ふと思ったりする。
自分はこれでいいのかな?とか。
そう思いつつも、そのモヤモヤを引きずりつつ、日常の中の環境に入らざるを得ない時なんかは、まるで全身が膜の様なものでおおわれてるような、ふわふわとした、現実感のない感覚が切り離されたような状態になる。
そんなこんなで、低空飛行気味。
それとはまた別に
自分ってなんだろう。
そんなことを漠然と考えたりもする。
~メモ(走り書き)~
人は環境によって様々な反応をする。
Aという環境に際しては、Aという反応が、
Bという環境の場合には、Bという反応がそれぞれ出ることもある。
その反応一つ一つを自分の人格であるかのように思ってしまうと、だいぶん混乱する…
Aという環境においては、Aという自分があるように、その時々で人も雰囲気も違ってくるため、それは当たり前のこと。
そのAという反応が出てしまったことに対して、それが自分の人格であるかのように考える必要も思う必要もない。
Aという場合にあって、Aという反応が出てしまったと言うだけで、多少なり省みる必要がある場合はあっても、その反応にだけこだわっていると、脳細胞(シナプス)が、その反応を形成しやすくなるネットワークを構築して、さらにそこばかりが使われ続けると、そのネットワークばかりがグルグル回り出してしまう。
ところで、人間の脳細胞の数は一千億個以上もあるだろうと言われているらしい。
全宇宙の星の数よりも多いそうな(余談)
つまり
あまりよろしくないネットワークを使い続けること、これを繰り返さない事が大事。
それには、その反応が出てしまったということにあまりこだわらず、流していくということが必要。
その反応は、その時だけのもの。
その様々な環境によって様々な反応をする、それらすべてを含んだものが自分なのかもしれないが、その一つ一つに、自分の人格として、こだわっていたら疲れはててしまう。
そもそも自分なんてあってないようなもの。
色んな人や環境に対して、それに則したり合った反応がそれぞれ出るのは至極当たり前ではないか…。

おわり