左右の山が狭くなり、杜子美は山道を急いでいた足をゆるめた。

 

 日暮れ時である。今のうちにどこか宿を探さねば、月もない闇に呑まれてしまう。この辺りは山辺なので、狼に代わって虎がでる。そう思っただけで、暗い茂みのなかから猛虎が躍りかかってくる気がした。

 

 ものを探す目で辺りを見ると、屋根を草でふいた土塀の家があった。細い水の流れが家の前を通る。その貧家にも、まだわずかに人がいる気配があった。杜子美は、その流れをまたいで渡り、朽ちかけた家の戸口から「どなたか、おられるかね」と、つぶやくように訊いた。

 

 家人を驚かせてはいけないという心遣いである。春とはいえ、まだ風は痛むほど冷たい。この家の人々が、寒風から身を隠すように、何かに怯えて生きていることが伺えた。奥の暗がりのなかに、声も発せずこちらに目を向けた顔があった。二人いる。自分たちに危害を加えるものではないと分かると、二人は体を杜子美の前に運び、腰をかがめて形ばかりの礼をとった。相手に向けたままの目は、いずれも白く濁っていた。この家の老夫婦であることが、ようやく分かった。

 

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