この四字熟語の出処は2箇所あります。

 

1つは、秦国と魏国が戦っている頃の事です。魏王は信陵君を将軍に任命し、信陵君は魏・斎・韓・楚・燕・趙の六国連合軍を率いて、秦軍を破ります。そして、勝利に乗じて追撃し、秦軍を函谷関まで追いつめました。

 

当時、信陵君の名は各国に行き届き、兵法を熟知していたため、各連合国は自国内の兵法書を信陵君に見せてアドバイスをもらいました。後に、これらの兵法相は『魏公子兵法』と呼ばれ、信陵君の人柄を「天下無双」と褒め称えるようになったのです。

 

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