グローバル化を提唱

 

当時の中国、ペルシア、アラビアは文化面においても、技術面においてもモンゴルより発達しています。しかし、交通や文化の制限により、新技術を他の国へ伝播することができません。貿易の規模も比較的小さいものでした。

 

モンゴル帝国は征服戦争をしながらも、絶えず中原の技術を広めています。そのため、グローバル化のプロトタイプが徐々に形成されていきました。

 

チンギス・カンは中原の国境を開き、軍隊を世界へと導き、アジアとヨーロッパ間の交通を復興させ、貿易路線をさらに拡大させました。チンギス・カンが発布した「大ヤサ(法令集)」により、モンゴル帝国は民主主義へと転換し、官職は世襲でありながらも、法令の制約のもとで、帝国の民主主義体制は古代アテナイの最盛期(紀元前495年-紀元429年)をも超えたと言われています。

 

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