最後の7年間、法顕は戒律の普及を志し、老齢の身体で翻訳に勤しみました。外国の禅師である佛馱跋院羅(ぶつだつばついんら)と共に、南京の道場寺で『摩訶僧戒律』など、合計24巻、100万文字の経典や律論を翻訳しました。『摩訶僧戒律』は大衆律と呼ばれて、後に中国仏教の五戒の一つとなり、大きな影響を与えました。
法顕が翻訳した『大泥洹経』は当時広く知られました。南京の朱雀門に住む仏教信者は、『大泥洹経』を写本し、読誦して供養を捧げました。後に火事が起こり、家の中の物品はすべて焼けてしまいましたが、『大泥洹経』だけは表紙も焼けずに残りました。この出来事は京城で広まり、人は仏典の不思議さに感嘆しました。
法顕は自身の西域へ旅した見聞を『佛國記』(または『法顕行傳』)として記述しました。この書は陸路で古代インドを旅し、その後スリランカから南洋諸島を経由帰国した行程を初めて実録したものです。
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