ある朝、法顕は無畏山の僧伽藍(僧侶が共同で住む庭園、すなわち仏教寺院)に立ち寄りました。突然法顕は商人が白い絹扇で佛像を供養しているのを見て、このような絹扇は故郷の晋でしか生産されていなかったので、親近感を持ちました。十年以上も異国の地にいたことを思い出すと、仲間は亡くなったり異国に残ったりして、法顕は孤独で悲しくなって、涙が雨のように流れました。

 

しかし帰る時期は見えず、晩年の法顕は広い海を眺めながら、故郷に帰りたい気持ちが湧いてきました。

 

  大海を渡って東に帰る

 

411年8月、法顕は一人で、長年集めてきた梵文の経典と仏像を背負い、200人以上を乗せられる大型商船に乗って、帰国しました。

 

しかし、航海に出てわずか2日目に暴風雨に遭遇し、船が損傷し浸水しました。船に乗っていた人々は船が沈まないようにと荷物を海に投げ捨てはじめました。

 

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