前回は「礼」と「楽」が人に与える影響についてご紹介しました。今回は残りの「射」「御」「書」「数」について話したいと思います。

 

中国神話で「大羿射日」という有名な話があります。戦国時代の曾侯乙墓(そうこういつぼ)から出土した箱の表面に「大羿射日」のお話が刻み込まれていました。「射」(弓術)はすでに夏王朝の時から普及し、周王朝の時には射礼制度(大射礼、燕射礼、賓射礼、郷射礼)が健全化され、文武両道の精神が込められています。武の方面は、主に狩猟や戦いの時の武術を指し、文の方面は、自らの人徳や品位などを養うことを指します。

 

夏王朝から清王朝まで、長い時代の中で、弓術は非常に重要な芸で、多くの皇帝、例えば、唐の初代皇帝李淵や、唐の太宗李世民、モンゴル帝国初代皇帝のチンギス・カン、清王朝の康熙帝、乾隆帝など、皆弓の名手です。

 

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