4.富ありて徳もある 内を修めて外を安定させる

 

******

古人曰く、金銭は身体の外にあるものです。人々は皆このことを知っていますが、人々は皆これを求めています。壮年者は欲を満たすため、女性は見栄えのため、年配者は老後の心配をなくすため、知識のある者は名声のため、役人はこのために仕事に尽力する、等々。人々はそのような理由によって金銭を求めるものです。

 

甚だしい者は金銭のために争い、強者は危険をも冒します。怒りの収まらない者は金銭のために犯行に及び、嫉妬する者は金銭のために怒って死にます。民を富ますことは君主と大臣の役目ですが、拝金主義は卑しいことです。富はあるが徳がない者は衆生に害を及ぼし、富があり徳もある者は皆の望むところです。したがって富がある者は徳を広めなければなりません。

 

徳は生前に積むものであり、国王、大臣、巨万の富、貴い身分などはいずれも徳によるものです。徳がなければ得られず、徳を失えばすべてを失います。したがって権力や財産を得ようとする者は必ず徳を積まなければならず、苦を嘗めて善い行いをすれば多くの徳を積むことができます。そのためには必ずこの因果関係を知らなければならず、これをはっきりと理解することができれば、為政者と一般大衆は自制することができ、天下は裕福で平穏になります。

 

   (李洪志「富ありて徳もある」、一九九五年一月二十七日)

 

人が徳を重んじなければ、天下は大いに乱れて治めることができません。人々は互いに敵対し合い、生きていても楽しくありません。生きていても楽しくないため、生死を恐れなくなります。老子は「民衆が死を恐れなければ、どうやって死をもって恐れさせることができるのか?」これは大きな脅威の到来です。天下太平は民衆の願いですが、もし法令を増やすことによって安定を求めようとするならば、逆効果でしょう。天下が太平ではないという憂いを根治するためには、遍く天下において徳を修めなければなりません。大臣が私腹を肥やさなければ汚職や腐敗は起こりません。民衆が徳と教養を修めれば、為政者と民衆が共に自らの心を修めることとなり、国家全体が安定します。民衆は心から為政者を慕い、国家のまとまりが強くなり、外敵を寄せ付けません。こうして天下の太平が保たれます。これこそ聖人の為すことです。

 

(李洪志「内を修めて外を安定させる」、一九九六年一月五日)

 

******

伝統的な中国人は、「厚徳載物(こうとくさいぶつ)」と考え、徳は幸せと富みの根本であり、幸運や財産はみな徳から転化されるものだと思っていた。徳は水のようであり、富は船のようなものであるため、水が浅ければ船を浮かすことができないのだ。

 

「徳がその位に釣り合わない」状態は、人に禍(わざわい)をもたらすとされていた。君主にとって、身を修め徳を重んずることは治世の根本である。君主や大臣が神と天を敬い、道徳が高尚であってはじめて、社会全体の人々を善へと導くことができ、国家を安定させ、社会の動揺と外敵の侵略を避けることができる。こうして国民が富み、安心して生活することができる。黄河が清くなり荒海が静かになるように、天下泰平に達するのだ。したがって、歴代の聖王はみな心を正し身を修めることを根本とし、「心を正すことをもって朝廷を正し、朝廷を正すことをもって百官を正し、百官を正すことをもって万民を正し、万民を正すことをもって四方を正す」。伝統的な王朝の先皇明主、たとえば伏羲、黄帝、堯、舜、禹、漢の武帝、唐の太宗、明の成祖、清の康煕帝などの統治手法は中華五千年の王者の道を成就した。

 

道徳は強い親和力をもっており、人々はそれに憧れ、尊び、親しく従い、自ら行うようになる。舜が堯によって歴山に派遣されるまで、歴山の人たちは土地を争って戦っていた。しかし舜の道徳的感化を受けて、一年後に歴山の人々の間には礼譲の気風が広まった。舜が新しい所に赴くたびに、その地方の民風が純朴となり、人々は彼の近くに引っ越してきた。舜が行く先々のところは、一年で村落になり、二年で都市になり、三年で都と称するにふさわしい規模になった。堯帝は舜に道徳の教化を担当させ、世の人に父義、母慈、兄友、弟恭、子孝という五倫に従わせるよう命じた。民衆は自らその五倫に従い、睦まじく暮らすようになった。こうして泰平な世の中になり、「天下の明徳はみな虞(ぐ)帝より始まる」(『史記・五帝本紀』)として知られた。

 

【続き】

 

 

【関連記事】