自然農法の研究は、八方ふさがりからのスタートだった。肥料も農薬も使わないという自然農法の理想に魅せられて、いざ実践を始めてみたものの、浅はかな自分の性格を恨む日々が続いた。100年も続く自然農法の歴史と実践者のノウハウを頼れば、素人の自分でも何とかなると思っていた。しかし結論から書くと、何ともならなかった。チャレンジしたすべてに失敗した。

 

2011年3月11日、東日本大震災を経験した。東日本の経済はマヒし、スーパーの棚から食べ物が消えた。目の前から食べ物が消える恐怖を初めて味わった。それまで、取材者として自然農法に魅力を感じていた筆者は、震災後、「1日でも早く自然農法の技術を確実なものにし、日本中に広めなければいけない」と思った。それが、自ら研究を始めるきっかけだった。そこで、まず多くの実践者の方法を真似することから始めた。

miko_neko / PIXTA(ピクスタ)

ある程度、農作物ができるようになった人たちには、共通する特徴があった。たとえば、緑肥作物と呼ばれている草や雑穀類を栽培して土に混ぜたり、特殊な微生物を培養した液体を散布したり、あるいは木材チップを発酵させた堆肥を鋤き込んだり。つまり、「肥料」と呼ばれるものは使わないが、何らかの「農業資材」を土の中に投入していた。つまり、自然農法といっても、完全な無肥料、無農薬というわけではなかった。

 

なかには、一切何も使わないという方法を実践している人たちもいた。しかし成功者はごく少数で、野菜ができるようになるまで20年以上かかったというケースしかなかった。さらに、完全な無肥料栽培では安定した生産量が確保できないため、生活を続けるために肥料栽培も並行して行っていた。しかも、よく話を聞いてみると、肥料を一切使わないで野菜ができるとしても、その仕組みを科学的に説明できる人がいなかったのだ。

 

当時住んでいた千葉県柏市で5か所の畑(合計1.5ha)を借り、若いスタッフを雇って栽培実験を開始したものの、半年経っても全く成果が見られず、ただ借金が重なるばかりだった。研究を始めて1年も経たずにスタッフを解雇せざるを得ず、途方に暮れた。何が間違っているのか、何が問題なのか、どこに打開のヒントがあるのか、まるで見当がつかなかった。

 

かつて全国紙の一面トップの記事を書いた経験を持ち、取材力には少しばかり自信を持っていた。どんな相手の話でも、短時間で要領をつかみ、理解できたつもりになっていた。多くの実践者の話を聞き、農場を見学し、本も読んだし、彼らが使っているという資材も購入して使ってみた。その結果、何ひとつ得られなかった。ただ失敗したという負の財産だけが残った。

 

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