伍孚が董卓の暗殺に失敗し、その場で殺された後、曹操は董卓への討伐を起こし、やがて全国で董卓に対する蜂起が続々と起こりました。この大規模な討伐で曹操は董卓を倒すことはできませんでしたが、この過程において、劉備・関羽・張飛という三人の英傑が名をあげることができました。

 

三国志演義」の著者の目には、劉備・関羽・張飛この3人こそが三国の間に起こる演義の主役だと映っています。この3人がいることで、汜水関では華雄を斬り、虎牢関では呂布との戦いを制し、勝利を収めました。この3人の活躍はほかの諸侯の無能ぶりを際立たせることになりました。

 

もちろん曹操の勇気や優れた知力と洞察力、出自を問わない事などは十分に描かれています。これらの重要な戦いは、主役だけでなく、各諸侯の野心や志望を浮き彫りにしたとも言えるでしょう。

 

諸侯の同盟は、ついに勝利を収めましたが敗北にも等しい結果になりました。結局、董卓は天子と国民を人質にして長安に都を移し、洛陽の都を燃やしてしまいました。その後、天子は大臣たちとともに都を去り、各地を転々としたのです。これは天命かもしれません。しかし、これで董卓の暴虐ぶりが世に知られ、後に漢朝を救おうとする劉備たちが立ち上がり、三国が対峙する形勢になったのです。

 

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