三国志演義』においては、王位にありながら実権のない献帝の長い治世の中、定まった統治者と定まらない統治者という二つの状況を設定して、義の意味合いを示すことを目的としています。そのため、作者が、残忍な董卓を利用して、献帝を王位に押し上げるのは必然的なことでしょう。邪悪な人間は、無知と傲慢さゆえに、歴史の流れを作ったり、変えたりする場合があるからです。

 

  董卓の悪行で演義の話を始める

 

「歴史は天によって定められる、文化は神によって伝えられる」というのは、小説『三国志演義』を創作する視点です。つまり、五千年の歴史を持つ中国を舞台に、各王朝の歴史が演じられ、神は人間に様々な文化を残すのです。このような観点から、作者は『三国志演義』という小説を通して、中国の文化的本質を解釈し、人々に義の真意を伝えるのです。

 

これこそが中国の歴史と文化を解釈する時に取るべき姿勢だと思われます。このような観点から、歴史上の人々や彼らが残した文化を読み解くことができるのです。そうして初めて、『三国志演義』に登場する人物や彼らをめぐる物語の目的や真意を読み取ることができます。

 

董卓は大臣らを拉致し、盧植を追い払って、呂布を買収して主人を義守していた丁原を殺害し、漢少帝の守備をすべて殺して、少帝を廃したのです。残忍な手段を尽くした董卓は、ほとんど苦労せずに、献帝の即位を成功させました。その成功によって、献帝の時代が正式に始まり、義に関する物語の幕が開かれたのです。

 

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