董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。

 

四国や五国、六国ではなかったのはなぜでしょうか。これまでの王朝と違って、暴君に支配されてからすぐに滅びるに至らなかったのはなぜでしょうか。若い皇帝を挟んで、それを持って諸侯に命じたりする現象が何度も出現したのはなぜでしょうか。

 

  三国で三才を伝える

 

作者は神伝文化という視点で『三国志演義』を書いているので、当然、すべてが天命に定められることを確信し、後世に神伝文化を残すという目的を持っているはずです。三つの国の鼎立したことを用いて、「天地人」という三才の概念を人々に広く知らしめるためです。

 

皇帝であっても将軍であっても賢者であっても、身分を問わず、いつも天人統一の宇宙観を抱き、畏敬の念と感謝の気持ちを持っています。こうして人は好き勝手なことができず、無謀なことをしなくなります。

 

「天地人」という三才の概念は、『三国志演義』において諸葛亮の話によって表されました。諸葛亮が庵にいた時、天下に三つの勢力が鼎立するという形勢を劉備に説きました。

 

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