「帝は帝にならず、王は王にならず、千乗万騎は北邙山を追い駆ける。」

これは、『三国志演義』に最初に登場した童謡です。漢霊帝の死後、最後の二人の皇帝の運命を予言しています。作者は童謡をもとにして、天意の存在を暗示しながら、物語の展開を進めています。

 

  一帝一王、帝王の宿命にならず

 

中平(後漢霊帝の年号)6年4月(189年)、霊帝は重病を患って、皇太子を立てず、後継者を指定する明確な辞令を残さずに亡くなってしまいました。権力を握る宦官たちは、霊帝が生前に望んだように、妾が生む子である劉協を皇帝にしたいと考えていましたが、霊帝の長男である劉辯の母親は正統な国母である何皇后です。

 

ですから劉辯には国の軍事力を司る大将軍である叔父の何進がついていました。劉協を王位につかせるためには何進を排除しなければなりません。宦官たちは、何進を宮中に勧誘し、隙を見て彼を殺そうと謀りました。その結果、計画が漏れてしまい、何進は宦官を一掃しようと決心しました。

 

何進は、すべての官吏を率いて、霊帝の霊前で、少帝である劉辯の即位を協力し、そして、少帝の母である何皇后に宦官を皆殺しにしたいと伝えましたが、何皇后に却下されました。その後、何進は袁紹の助言を聞き、外臣を募って軍隊を洛陽に導き、宦官を根絶するのを助けるようにと明確な命令を下しました。

 

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