劉備張飛との出会いに続いて、ついに関羽の登場です。張飛の声は雷のごとく、勢いは奔馬のごとくというものでしたが、関羽の相貌は神将のごとく、一身に神威を帯びており、一見しただけで人々に畏敬の念を覚えさせるものでした。関羽は身の丈9尺(後漢の尺度では約208cm)、髭の長さは2尺(同じく約46cm)、熟した棗(ナツメ)の様な紅顔、唇は朱を塗ったよう、切れ長の目、太く逞しい眉を持ち、その風貌は堂々たるもので、威風は凛々たるものでした。

 

この様な人物は、生涯忠義を尽くし、強く勇ましく不屈であり、生まれながら人に屈しないと定められているのです。そしてその外貌は、劉備の目を通して表現されたものです。

 

劉備と張飛が出会った日、彼らが酒場で語り合い始めて程なくすると、一人の大男が荷車を押しながら酒場にやって来て、すぐに軍に身を投じなければならないからと店の者に急いで酒を出す様に言いました。この一切を劉備が見ており、関羽に自分達と同席する様に招き、関羽の名前と身の上を知ることとなったのです。関羽、字は雲長、山西省出身で5、6年前に人に危害が及ぶのを目にして義侠心を起こして、当地の権力を笠に着て人々を虐げる横暴な者を殺害し、難を逃れるため各地を流浪せざるを得なくなり、官府が賊を討つための募兵を行っていることを耳にして、応募するために特にやって来たのです。

 

ここで折よく劉備、張飛と出会ったのです。劉備、関羽、張飛の3人はその徳と志が同様であったことは明らかでした。3人は意気投合し、そのまま一緒に張飛の屋敷に行き、義勇軍への応募の準備をしながら共に賊を討つことについて語り合ったのです。

 

  桃園結義、重きは誓いの言葉にあり

 

そこで張飛が、自分の屋敷には桃園があり正に花盛りであったので、明日、桃園で天地を祭り、3人で義兄弟の契りを結び、大事を謀るのがよいと提案したのです。これこそが広く知られている桃園結義の物語の由来です。

 

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