この記事は、『共産主義の最終目的』序文 の続きです。

目次

1、中心なる国

2、神より伝えられた文化

3、歴史の大河

4、類まれなる包容力

5、不滅の文明

結語

 

1、中心なる国 

 

人類の文明は四千年前に発生した大洪水により壊滅させられた。世界各民族の洪水伝説でも、生き残ったほんの一握りの人が人類の文明を再建したと言い伝えられている。

 

大洪水が起こった時期は、中国の堯(ぎょう)帝の時代に当たる。滔天(とうてん)の洪水が世界各地に大きな災難をもたらすなか、中華民族は全体として生き残ることができ、先史の輝かしい文明を保全することができた。その中には現代人すら解明できないような太極や河図、洛書、周易、八卦も含まれていた。

 

中国の歴史書によると、堯帝が天を祭っている際に神が姿を現し、「水方至為害,命子救之(大洪水が民に害を与えている、あなたは農民を救いなさい、の意、出典:『古今楽録』)」と伝えた。禹(う)帝(夏王朝初代皇帝)が洪水退治を行ったのも大洪水が起こったためだ。堯、舜、禹の三帝の時期に中華民族は壊滅的な洪水から復興を遂げた。禹帝は国土を治め、中華民族のために新世界を切り開き、今日に至った。

 

これは中華民族に対する神の特別なご愛顧である。神の護持がなければ、中華民族は世界の他民族と同様、大洪水の難を免れることはできなかっただろう。神は数多くの民族から中華民族を選び、神伝文化(半神文化とも言う)を授けたが、これもまた後々の壮大な構想の布石だった。

 

中国の歴代王朝は領土をも異にしたが、実際のところ、「中国」は地理的な概念ではなく、「中心なる国」の意味だ。これは中華文明が持つ独特な地位や特徴、構成要素に鑑みて、神が定めたのである。

 

中華の大地は唯一無二の存在であり、まさに神が選んだ中心の国から、世の人を救う法が世界に伝播される。つまり、自然環境や人口分布といった表面上の要素から歴史の発展過程や文化の形成および各種宗教や修煉法門に対する認識などの深層的な部分まで、中国を構成する一切の事柄は神の系統的で秩序ある導きに由来する。

 

中華文明の歴史のなかで、創世主は帝王や文人墨客、僧侶、道士、武術大家、軍師、名将にそれぞれ転生し、非凡なる来歴を持つ人々を率いて神州の民のために生活の基礎を打ち立てた。そして道徳規範を定立し、思想の内包を豊富にし、正統な文化を広め、律令格式を定めた。そのうえに、帝室、国民、文化、衣裳、風土人情、思想神髄をそれぞれ異にする王朝が成立した。中華文明はそれらの文化を遠く四海に広め、威厳をもって八方を鎮めた。ここに五千年神伝文化の壮大な局面が完成した。

 

中華文明の英雄人物は竹簡に名を残し万古の模範となった。秦の始皇帝、漢の武帝、三国時代の曹操や諸葛孔明、唐の太宗皇帝、チンギス・ハン、フビライ・ハン、明王朝の永楽帝、清帝国の康熙(こうき)帝等の帝王名臣は領土を拡大し、周辺国家や民族と縁を結び、中華文明を遠く異民族の地まで伝えた。

 

秦漢両帝国は中国統一を果たし、西域を開拓した。そして北方民族を討伐し、南方民族を編入した。魏晋南北朝期には中華文明が華南に広がり、五胡が中原で建国した。隋唐時代になると周辺民族は中華帝国と和親を結び、盛んに朝貢・留学した。時には戦火をも交えつつ、さまざまな形式で中原王朝と関係を持った。北宋・南宋期には契丹(きったん)と女真(じょしん)が勃興し、宋と遼、宋と金の間で戦争が続発した。チンギス・ハンは北アジアを統一し、ヨーロッパまで遠征を行った。また、明の永楽帝は大艦隊を編制し大航海を行った。それらの功績は天地をも驚かせる偉業だった。それらの出来事は無秩序にも見えるが、実に整然としている。偶然にも見えるが、実は必然的だ。

 

神は世の衆生を一人も漏らすことがないよう、順序立てて中華伝統文化を世界に伝播し、全世界の人類が有するべき普遍的価値観を定立した。

 

神州の大地では走馬燈のごとく歴史の戯曲が上演され、一方が退場すればもう一方が舞台に登場した。演技する者は茫然として忘我の境地に陥り、見るものも劇中をさまようばかりに酔いしれた。五千年に及ぶ歴史の戯曲の内容とその背後にある神髄は、人知れず神州の民の血液の中に溶け込んでいった。そして五千年間絶えることのない歴史の記録により後世まで保たれ、比較的高い道徳水準を維持できた。

 

【続き】