初めて読者の前に姿を現し、劉備と出会った張飛が、『三国志演義』ではこのように描写されています。


劉焉が兵士を募集する通達を送ったとき、玄徳はすでに28歳であった。その召集の通達を見た劉備は、長いため息をついていた。すると一人の男が厳しい声で『国のために働かないのに、なぜこんなに長くため息をつくのか』と大声で言い出した」 「玄徳が振り返ると、その人は、体長8尺で、頭が小さく、目が大きい。力強く、凛とした姿である。巨大な雷鳴のような、疾走する馬のような迫力のある声だった」

 

多くの読者は、張飛について、性格が無謀で、衝動的な人だと考えていますが、実はそうではありません。

  張飛と劉備 剛と柔の組み合わせ

 

張飛の登場は、姿を現していないにもかかわらず、まず声が耳に入ってきます。最初の一文で、張飛の声が「厳しい」という言葉で表現されています。次に彼の豹のような素早さと、虎のような勇敢な兵士の凛とした迫力が表現され、さらに、彼の声は、空中に鳴り響く雷のように、疾走する馬のように生き生きと描かれています。張飛は、劉備の穏やかで安定した性格とは相反的です。

 

二人は、いわゆる動と静、剛と柔の組み合わせで、必ず完璧なペアになるでしょう。張飛は、長坂橋で、たった一人で、3度の大きな雷鳴のような叫び声で、数十万の曹操の威勢のいい軍隊を追い払いました。ただし、この張飛の雷のような素早さと迫力は、決して戦略を持たない普通の無謀な男とは違うものです。

 

著者は、読者を物語の筋に引き込むように、並外れた筆力で登場人物に命を吹き込みます。実は、張飛の登場において、最も重要なのは、声の描写ではなく、彼の最初に話した言葉「大の大人が国のために働かないのに、なぜ長くため息をつくのか?」です。

 

無謀な人が、そのような学識を持って、大きな野望を持って語るはずがありません。張飛は素直で、くどいこと、中途半端なことを言わずに、物事をストレートに言う性格です。張飛が最初に考えたのは国に対する大義で、国が困っているときには自分にも責任があるということです。実は張飛が考えたのは、国のために貢献する方法なのです。

 

ですから、張飛の性格について、お酒を飲んだ後、人を乱暴に扱う傾向があるといった不足の面もありますが、彼の気質、ストレートさ、率直さ、勇敢さ、正義感と決断力などは彼の大きな特質です。そのため、張飛は、知事の汚職を怒り、人民を守るために悪を懲らしめるとか、西川(甘粛省定西市)に入った時に、義理のために厳顔を釈放したとか、経験のある老いた勇将の黄忠に善処したとか、数多くのことをやりました。これらの行動は、張飛が勇気も謀略も持っている、同時に仁義にあふれた人物を示しています。もし、劉備はその慈悲深い、仁義のある心で際立っているとすれば、張飛はその容赦のない正義感と義理で際立っています。義は剛、仁は柔、剛と柔の組み合わせは、いわば仁と義の組み合わせです。この二つは一体となり、分離することはできません。

 

『三国志演義』の第七十回では、著者は諸葛孔明の言葉を借りて、張飛の総評をしています。

 

「孔明は微笑みながら、『主君は長年、張飛と兄弟関係を保っていたが、まだ彼の性格を知らないのか? 張飛は生まれながら勇猛な人だが、以前、西川を占領したとき、義理のために厳顔を解放したが、これは勇者のやるべきことではない』と言った」。

 

張飛がいつも厳格に、迅速に事々を行うのは、彼の勇猛果敢と正義のある心を強調しています。彼の目には悪行を容認することはできないため、不正を見たら、すぐに悪を除去したくてたまりません。実際は、これは彼の正義感と勇猛の一側面の表れです。しかし、あまりの強い勇猛さと勇敢さのため、劉備の柔らかい勧告や仁義のあるソフトな一面も必要となります。したがって、劉備と張飛の二人は、相互的な性格で、一緒に剛と柔の役割を果たし、二人の出会いは運命によって結ばれ、そういう縁があったと言えるでしょう。

 

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