目次 

 

1. 芸術―神からの贈り物

2. 芸術が人類に与える多大な影響

3. 共産主義による破壊活動と芸術の乱用
 共産国家の芸術
 アバンギャルド(前衛的芸術)の裏に潜む共産主義
 美的水準の反転―醜悪を芸術とする
 倒錯した文学

結論

参考文献

 

 1. 芸術―神からの贈り物

 

人類史上現れた多くの書物が、真の美とは何かについて論じている。信仰心のある者にとって、すべての奇跡は天からの賜りものである。深遠な芸術とは、天上の美を人間世界で模倣しようとする試みであり、芸術家たちは神々からの啓示を受けて作品を創造する。もし芸術家が神の恵みと啓発を受けることができれば、彼はその分野で卓越した才能を発揮するだろう。

 

信仰心の篤いルネッサンス期の優れた芸術家たちは、神を称える作品を多く残している。神が彼らの高潔さと善の心を認め、彼らに恵みを与えたのである。ダ・ヴィンチ(Da Vinci)、ミケランジェロ(Michelangelo)、ラファエル(Rafael)を含むルネッサンス中期の芸術家たちは先人を遥かに凌ぎ、奇跡とも呼ぶべきその技術は圧倒的である。彼らの絵画や彫刻、建築は、歴史を超えて保存すべき真の古典芸術である。

 

何世紀にもわたって、これらの作品は崇高な模範を人類に示してきた。作品を鑑賞することにより、次世代の芸術家たちはその技術を学び、一般市民は神々に触れ、神の存在を見ることができる。

 

芸術家たちの卓越した技術と作品に込められた精神が保存されていれば、人類社会は神々との絆を維持することができる。そうすれば、社会はすでに退廃堕落の時期に差し掛かってはいるが、伝統に回帰し、人類が救われる希望は残されているだろう。

 

音楽の世界も同様である。ドイツのオペラハウスは、「バッハは神の言葉を、モーツァルトは神の笑いを、ベートーヴェンは神の炎を、与えてくれた。言葉を使わずに祈れるよう、神は音楽を下さったのだ」と解説している。

 

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)は、その生涯を神への祈りにをささげ、神を称える作品を多く残している。彼はほぼ全ての楽譜にSDGと署名し、神に感謝をささげた。SDGとは、ラテン語「Soli Deo gloria」(ただ神にのみ栄光)の略称である。

 

これは、芸術家が理想とする最高の境地ではないだろうか。神の啓示を受けて、天上の物象をこの世で具現化する。偉大な絵画や彫刻、また早期の、あるいはバロック期の壮大な曲や古典カノンなどは、すべて信仰心の篤い芸術家たちが創造した作品であり、芸術の頂点を極めている。

 

芸術を創造するには三つの重要な要素がある。それは、表現、創造、伝達(コミュニケーション)である。すべての芸術作品にはテーマがあり、作者が伝えたいメッセージが込められている。詩、絵画、彫刻、写真、小説、演劇、舞踊、映画など形式は異なっていても、性質は同じである。芸術家たちは、そのテーマを読者、聴者、観客の心に届ける。これが伝達であり、芸術家の心が人々に伝わる過程である。

 

この目的を果たすために、芸術家は神々の世界や人間、あるいはあの世さえも模倣できるような、優れた技術を持たなければならない。表現したい物体を基礎として、芸術家は創造を始める。それは物体の奥深くにある本質を見て、自身の表現力を磨き、観客の心に伝える能力を高める過程である。芸術家が信仰心と高い道徳を備えていれば、神々は彼にひらめきを与える。このようにして出来上がった作品は神々しく、純粋で、善良であり、芸術家にとっても、また社会にとっても有益である。

 

一方、もし芸術家の道徳が堕落していれば、創造の過程は負の要素に占拠される。邪悪な力が作用し、芸術家を通して醜悪で奇怪な、あの世のものが表現される。このような作品は芸術家にとって有害であるだけでなく、幅広く社会を荒廃させる。

 

正統で伝統的な芸術の価値は計り知れない。東西における偉大な文化や芸術は、神々と人類文明が紡いだ、両者が繋がるための絆である。これらの作品が人類に伝えるのは、美、善、光、希望である。一方、邪悪な要素に操られて生まれたものは退廃した芸術である。これらの作品は神と人間の間に楔を打ち込み、人間を邪悪へと引きずり込む役割を果たしている。

 

[つづく]