東山嘴と牛河梁の遺跡

 

1979年から1985年まで、考古学者たちは相次いで遼寧省西部のカラチン左翼モンゴル族自治県東山嘴村と牛河梁村で、大型の祭壇や、女神殿、積石塚(小型ピラミッド)などの遺跡を発掘し、数多くの文物も出土しました。

 

放射性炭素年代測定を通じて、この遺跡は今から5500年前に建設されたもので、出土文物をもとに初歩的な推測をしたところ、この場所には、国家様式の原子文明社会が存在していたというのです。これはつまり、中国文明がさらに1千年前までさかのぼることができるということを意味し、全世界をとどろかせました。

 

東山嘴と牛河梁の遺跡の敷地面積はおよそ50平方キロメートルで、遺跡内には、祭壇や廟、積石塚があり、祭壇は、丸形と長方形のものがあり、女神殿は、主殿と側殿に分かれ、主神とその他の諸神を意味しています。そして、積石塚は山頂や丘の上に建てられ、明の十三陵の構造に非常に似ています。

 

1989年、女神殿付近からピラミッドが発掘されました。地上部分は直径40メートルで、高さは16メートルあります。ピラミッドの周囲には二重の外壁があり、内側は直径60メートル、外側は直径100メートルあります。

 

この大きなピラミッドの周辺には30以上もの小さいピラミッドが分散しており、積石塚群全体は円錐状をしていて、エジプトのピラミッドの配置と全く同じです。果たしてこれは偶然なのでしょうか?そして、これらのピラミッドは一体何のために建てられたのでしょうか?