織田勝長様に思いを馳せて… | 月を見上げるもぐらのように

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日記及び読んだ本や面白かったサブカル感想(ネタバレ有り)を書きたい、なと思ってみたり、みなかったり。

まさかの2日連日更新の秀次ですえ゛!

まあ、すごいやる気になったわけでも、連日更新を目指してるわけでもないんですけどね。

たまたま今日、6月2日が“本能寺の変”があった日だったそうで、今日はTwitterやブログが賑やかだったので秀次も便乗して更新してみました(笑)

さて、やはり本能寺の変と言えば“信長様”や“信忠様”の話か視点をかえて“明智光秀様”の話が多かった感じがしたので、秀次のにわか知識では詳しいかたに太刀打ちできない苦笑ので、あえて信長様の五男織田勝長様”の話をしたいと思います。

勝長様はあまり有名な方ではありませんので、軽く略歴を…。(略歴の間は敬称は略します)

織田信長の五男に生まれた勝長は、最初東美濃の名族“遠山家(とおやまけ)”に養子に出されます。
※もしかすると信長お得意の養子に出してそのまま乗っ取り作戦かもしれません。

勝長が遠山家に養子に出されたのには、訳があります。

遠山家の奥さまは信長の“年の若い叔母”さんだったからです。
名前は“おつやの方”だったかな?

おそらく東美濃の要と言える遠山家が他の勢力に寝返らないように婚姻関係を結んだのではないでしょうか。

結局遠山家の旦那さんとおつやの方の間には子供が出来ず、旦那さんも戦傷だか病だかで亡くなってしまって、遠山家の跡継ぎとして勝長君が養子に入るのですよ。

このまま行けば遠山家の当主として信長や後継者の信忠に臣従してめでたしめでたしだったのですが、そんなに勝長の人生イージーモードじゃ無かったんです(笑)

勝長の人生が激変したのは、武田信玄の侵攻が原因です。

信玄の本隊は遠江(今の静岡県)から三河(愛知県)へと徳川領を侵攻したのですが、別動隊は信濃(長野県)を通って東美濃に侵攻してきました。

東美濃の守りの要は遠山家でしたが当主は亡く奥さんのおつやの方がトップに立って武田別動隊を凌ぎます。

そこで武田別動隊指揮官“秋山信友”はあり謀略を仕掛けます。

『奥さん、若いのに旦那さん亡くなって寂しいでしょう。俺が奥さんと夫婦になって寂しさを忘れさせて上げるよ(´・ω・`)キリッ』

にへハート2ポッ』

こうしておつやの方と秋山信友は結婚してしまいます。
※ちなみに反対した家臣達はあっさりと処分されたそうです

婚姻関係を結んで安心していた信長はさぞビックリしたでしょうね!!!!!!!!

そうなると跡継ぎ予定の勝長君の立場が亡くなります。
結局秋山信友から武田信玄・勝頼の元へ送られて、普通なら敵対勢力のトップの息子ですから、ズバッと処分されるんでしょうが…。

何故か勝頼のゆうし(漢字変換できず)
※ゆうしとは、跡を継ぐ権利の無い養子の事だそうです。
とし、嫡男“信勝”同様兄弟のように育てたんだとか。

その後武田崩壊が始まった頃、織田家に戻り織田信忠に属する一門衆として、本能寺の変で散りました。

織田勝長様はどんな思いで、兄信忠様と共に二条城で明智軍に抗戦し散っていったのでしょうか?

織田有楽斎のように逃げる事もできたはずです。

秀次は何となく思うのです。
父のように慕った勝頼様や兄弟のように共に育った信勝様に殉ずる事ができなかった勝長様は、武田から戻った勝長様を温かく迎え入れてくれた実の父信長様や兄信忠様に殉ずる決断を最期まで悔いることは無かったんじゃないかなって。

何か文章にすると味気ないな(笑)
秀次は心半ばで散った武将や、悩み苦しみ抜いて精一杯活ききった、歴史上の英傑達が大好きです。




秀次が初めて勝長様を知る切っ掛けになった歴史if 小説の“新織田戦記”です。

物語の起、承、転、結の結がイマイチなのでお薦めはできません。

長々お付き合いありがとうございました。

ではでは次の更新で(^ー^)ノ