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鏡の中のあなたと私

今までの人生を振り返りながら、
鏡の中のあなたと私のこと、つらつらと綴ります。

6月6日 今年も晴れた。

 

子供の頃、絵描き歌「かわいいいコックさん」の影響で、雨がざあざあ降る日だと思ってきた。

 

けれど、6月6日に雨が降ることは少なく、32年前の今日も空は晴れ渡り、小さな雲たちがまるで天使のように見えた。

 

まるで娘の誕生を祝福してくれているように…。

 

25歳で結婚して、30歳で初めての子供を妊娠した。

 

子育てに自信が持てなくて躊躇していたけれど、30歳を目前にして周囲の声が気になりだした。

 

地方の長男の家に嫁いだ私には、男の子を生まなくてはいけない使命があった。

 

義父母が両方とも農家育ちでだったこと。

 

また世の中の風潮も長男神話が盛んだったように思う。

 

妊娠を知った時、実はあまり嬉しくなかった。

 

それよりも…、

 

これから起こるだろう親戚絡みのお祝い事の数々を思うと

気が重かった。

 

少しずつお腹が大きくなるにつれ、憂鬱な気持ちも大きくなる。

 

戻りたくても戻れない状況の中、定期検診に行けば陽だまりのような柔らかい眼差しで、自分のお腹を擦る妊婦さんを疎ましく見つめていた。

 

そんな私に天罰が下ったのは、二月の粉雪が舞い散る寒い夜だった。

 

急にお腹に刺すような痛みを感じた。

 

しばらく様子をみていたけれど、痛みは激しくなる一方で寝ている主人(元主人だけどね)を起こしてかかりつけの産婦人科に連れて行ってもらった。

 

夜中で検査はできないと言われ、一旦、鎮痛剤で痛みを抑えながら、明日の検査に備えて入院することになった。

 

病室は産後病棟ではなく、切迫早産、妊娠中のトラブルを抱えた患者さん達の病棟だった。

 

この日は何故か入院患者が多く、他の部屋は埋まっていて、狭い2人部屋に案内された。

 

鎮痛剤で痛みは治まったけれど、急な入院で神経が高ぶって眠れなかった。

 

カーテンの隙間から飛び込んできそうな雪を見ながら、静かに夜が明けるのを待っていた。

 

少しすると車いすで女性が運ばれてきた。

 

カーテン越しでよくわからないけれど、その時点で彼女は泣いていた。

 

看護婦さんが部屋を出た後も、布団を被って声を殺して泣いていた。

 

その声は地を抉るように咽ぶっていて、理由のわからない私まで悲くなるほどだった。

 

朝早く、彼女は別の部屋に移された。

 

その後、検温に来た看護婦さんが涙の理由を話してくれた。

 

昨夜、彼女の赤ちゃんが天に召されてしまったこと。

 

2回の流産の後、三度目で妊娠6ヶ月まで成長し、突然、ママのお腹の中から出て、お空の星になったこと。

 

その後、私は検査を済ませ、翌日、異常なしと判断された為、家に帰ることになった。

 

心配してくれていた義父母に挨拶をする為、主人の実家に向かう車中で、思わぬ訃報を聞かされた。

 

「気を落とすと思うから言わなかったけど、サリーが死んでしまったんだよね」

 

サリーは主人の実家で飼っている犬だった。

 

私が入院した夜に、勝手に垣根を越えて家を飛び出してしまったらしい。

 

元々、番犬として飼っていたから敷地内で鎖はつけていなかったけど、絶対に門からは独りで出ない犬だった。

 

交通量の多い道路は危険だからと、散歩コースにも連れて行かなかったはずの見知らぬ農道の脇の雪の積もった上で亡くなっていたと聞かされた。

 

近所の人にも一切、懐かない、家族ともどこか距離を置いていて遊び方を知らない犬だった。

 

知り合いの家で子犬の頃から裏庭の木に括られて、雪の中で震えていたところを義母が番犬にともらってきた犬だった。 

 

強暴だし、本気で噛むしね…。

 

無断で鉄門を開けて自宅の敷地に侵入する者は、たとえ毎日来る郵便屋さん、好物のロールパンを投げてくれる隣のおばさんであっても噛まれてしまった。

 

そんなサリーだったけど、私が初めてお邪魔した日、知らずに門を開けて玄関まで入ってしまったのに、噛み付きもしないで嬉しそうにニコニコしながら私の後ろでお座りしていた。

 

まさに奇跡だと言われたけど、ずっとアパート暮らしだった私にとって、初めて自分の犬を持てた喜びでいっぱいだった。

 

サリーと散歩しながら、色々なことを話したよ。

 

風の音の違う土地で、不慣れな仕事…。

 

家族の食事を作り、片付けて帰る。

 

賑やかな街に帰りたいと思ったり、

 

子供が生まれたら、私の未来はどうなるんだろうと不安な気持ちも…。

 

主人の実家に着いたら、義父母、妹二人も来ていて、心配かけたことをお詫びした。

 

「サリーちゃんが助けてくれたんだねぇ」

 

「うん、そうだね…」とみんなが頷いた。

 

動物は飼い主の身代わりになってくれると迷信好きの義母が言った。

 

私は奥歯を噛みしめて泣くのを我慢した。

 

私のせいで…

 

私が命の尊さを軽々しく扱ったせいで…

 

サリーが身代わりになったのであれば、罪深き私はどうすればいいのだろうと思った。

 

その時、サリーの情けに報いる為にも、どんなことがあっても子供を守ると誓った。

 

今でもお寺参りしながら、お地蔵様に線香を手向ける女性を見ると、32年前のあの夜のことを思い出す。

 

そして…

 

身代わり地蔵の優しさに触れると、サリーのことを思い出し切なくなる。

 

生きとし生けるもの 全ての命に限りがあるけれど、

だからこそ、ともに生きる瞬間を大切にしたい。

 

永遠の命の代わりに ありがとうの言葉を添えて…。

 

美月