『オデュッセイア』

の一節では、

ゼウスが他の神々に、

人間が自分たちに

災いをもたらしたと

非難していますが、

問題の真実は、

ゼウスによれば、

自分たちを

非難できるのは

神である

自分たちだけであり、

神々は常に使者を送り、

差し迫った危険を

人間に警告していると

言うのです。

 

その使者はヘルメスで

あることが多いのですが、

たとえばオデュッセウスが

トロイからの

帰路の泥沼を

案内したのは

アテネでした。

 

神々は自らを助ける者を

助けるというのは

よく知られていることですが、

自らを助けると

いうことの裏には、

自分の行動に責任を

持たなければならないと

いうことがあります。

 

行動や行為には常に

不文律があり、

行動の動機にまつわる

暗黙の了解も存在します。

 

ゼウスは

「人の知恵を奪う」

ことができ、

それによって破滅を

招くと同時に、

正しい行動をとった

英雄に報酬を

与えることができます。

 

神話の世界と同様に、

現代の生活においても、

動機と行動に関する

こうした神秘的で

暫定的な規則は、

しばしば発見されます。

 

むしろ、爆発を防ぐために

本能に頼ってしまったために

地雷の埋まった野原を

歩き回るようなものです。


ゼウス/ジュピターはまた、

罪悪感や恥にまつわる

問題を体現しています。


これらの用語は、

オリンポスのヒエラルキーに

支配された文化から、

人間の死を基盤とした

民主的な社会への

文化的移行に適用されていました。


人類学者のJ.K.キャンベルは、

この2つを区別して

次のように書いています。


「罪悪感と恥はともに

良心の内的状態であるが、

恥は人間がある理想的な

行動パターンに近づけないことに

関係しているのに対し、

罪悪感と個人の罪の基準は、

禁止された限界を超えることである。


恥は失敗、特に他人の功績と

比較した失敗に関係する。


恥は、公的な恥にある程度つきものの、

社会的放棄という外的制裁を受ける。


一方、罪悪感は、

人間と神との関係であれ、

集団の一員であることから

生じる社会的責任であれ、

神の戒めに背く行為の結果である。


もちろん、ある行為が

罪の意識と恥の意識の

両方を引き起こすこともある。 」


さて、土星と同様に

木星も超自我に

影響を与える要素であり、

超自我は自己とエゴに対して、

家族、社会、宗教の規範の中で

どのように振る舞うべきかを

指示する精神部分です。


木星に願う時には、

その結果にも

責任を持たなくては

なりません。


木星の恵みも、

責任まで受けて初めて、

生きてくるからです。


さぁ、あなたは

何を願いますか?


佐藤 ポーラ