私は、わりと周囲からの評判が良くない人の方が、
好きになる確率が高い。
評判がいい人って、表面的にはすごく愛想が良くて、
明るくて、
誰とでも楽しくお喋りして、
という人が多いけど、
そういう人に限って、
仕事は適当、
もしくは雑だったり、
権力者の前でだけは愛想を振りまいて、
陰ではおとなしい人や、
印象的にはパッとしない人に仕事を押し付けてたりする。
でも、私が好きになる人は、
愛想はないし、
ただただ不器用。
でも仕事はもくもくとこなすし、
押し付けられた仕事も一生懸命にやる。
他の人には愛想よくして、
なんならその仕事を押し付けた人の悪口まで言ってる人に、
偉そうに何かを言われても、
ただただ謙虚なまま。
もちろん、そうやって我慢することを美徳とは思っていない。
いや、もしかしたら彼らは我慢してるわけではなく、ただただ器がでかいから気にしてないのかもしれないけど。
親戚の集まりとかでも、
帰り際に親が評価する親戚(いとこ)は
明るくてよくお喋りする子。
人見知りで全然喋らない子は、
「あの子はダメだな」呼ばわり。
なんで、喋らないだけでダメだと言われなければならないのか?
全くわからない。
転職サイトとかでもよく見るのは、
「コミュニケーション能力のある人」という文言。
コミュニケーション能力って何?と、そのフワッとした言葉にいつも違和感を感じる。
コミュニケーション能力って、ただ単に会話をする能力のように使われている気がする。
その内容の如何に関わらず、ただ言葉を交わせる人というか。
誰かが悪口を言ってたら一緒に悪口を言うとか。
上司が黒といえば白でも黒と言うとか。
お腹の中で思ってることと、発する言葉が一致していない人が、コミュニケーション能力があるって思われる気がする。
そもそもコミュニケーションって、1人ではできないのだから、
どちらか一方が悪いとか能力がないとは言えないと思う。
ボールを投げて投げ返して来なかったからと言って、
あいつはキャッチボールが下手だ、とは限らない。
投げる方の投げ方に問題があるのかもしれない。
テニスとかしてたって、
うまい人は相手に取りやすいボールを打ち返すことができる。
そして変な方向に飛んで行ったボールも華麗に打ち返し、なおかつ相手に取りやすい形にしてしまう。
「コミュニケーション能力がある人」っていう言葉を書いている時点で
コミュニケーション能力なさそうだな、と思ってしまう不思議。
だから、ミスチルのHANABIという歌の歌詞が大好き。
考えすぎで言葉に詰まる
自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振舞う
自分はそれ以上に嫌い
ぽんぽん言葉が出てくる人も素敵だとは思うけど、
ちゃんと考えてるからこそなかなか言葉が出てこない人の方が
真剣に考えてくれてる気がして
私は好き。
もちろんね、愛想がよくてなおかつ仕事もできて、超完璧な人もいるだろうし、
評判が悪くてなおかつ噂通りそのまま印象が良くない人もいると思う。
でも私は地味でも目立たなくても、
誰に誇示するでもなく
淡々とやるべきことをやっている人が好きだし、
そういう人の良いところを見つけられる自分のことも好き。
私のこの周りの人の評判に左右されず人を見抜ける才能を誇りに思うし、
私は私に生まれて良かったなって思う今日この頃。
もしも生まれ変わっても
また私に生まれたい
この体とこの色で
生き抜いてきたんだから
懐かしい
自分のことを責めてしまうこともあるけれど、
最近は私は私が好きって強く思う。
いつもありがとうね、自分。