2016年12月末、私の55歳の誕生日に私は夫とともに26年間暮らした埼玉県のK市から、夫が生まれ育った東京都足立区へ引っ越してきました。
K市は程良く自然が残る暮らしやすい街で、26年前に引っ越してきた当時まだ1歳だった一人息子は、この街で育まれ、無事成人し、就職を機に巣立っていったのでした。
K市で暮らしていた家は、家に対して私が長年抱いていたありとあらゆる夢を詰め込んで、凝りに凝って建てた夢のような家でした。暖炉、回り階段、吹き抜け、シャンデリア、ダブルシンクの洗面台、トイレ付ゲストルーム、仕事部屋、洗濯物干室etc.。外観もダブルハングの屋根が蔦が絡まるレンガの壁を引き立てる洋館風の家でした。建てた当時、私はまだ若く、体力があり、大きな家をきちんと管理できるのか一抹の不安はありましたが広い夢の家に住める喜びのほうが大きかったのを思い出します。
しかし、年を経るにつれ、徐々に私の仕事が忙しくなってゆき家事に割ける時間がどんどん減っていくようになりました。息子が巣立った後には、増え続ける仕事関係の物品を空き部屋に安易に一時保管する癖が付き、どの部屋も次々に物置化してゆき、仕事の合間の家事では到底家を管理しきれない状態が露呈してきました。家事動線に問題があり、何かしようとするといつも1階から3階までを上ったり下りたりしなければならず、年を重ねるにうちに何もかも億劫になってくるのをひしひしと感じるようにもなってきました。しかも互いに仕事で忙しい私たち夫婦は広い家の中で食事以外はいつも別々の空間で時を過ごすようになり、気が付くと年老いた猫のTamaだけが私たちのきずなのようになってしまっていました。
丁度そのころ足立区で悠々自適に一人暮らししていた舅が突然亡くなり、舅が住んでいた実家を夫が相続することになりました。
一人息子は結婚し、仕事の都合で、もはやK市の家には帰ってくることはありません。舅が突然亡くなってしまったことは悲しい出来事でしたが、これは私達夫婦にとって老後の生活を見据えて生活を変える大きなチャンスではないかと私は感じたのでした。
都心で働く夫はK市で暮らしている限り、今後も片道1時間の通勤を耐えなければなりません。しかも近所付き合いを私に任せっきりの夫には近所に知り合いがいません。老後のことを考えたら生まれ育った地元に戻ることは夫にとっても良いことのように思えました。私の仕事は基本的には家でできる仕事なのですが定期的に都心に行くこともあり、ミーティングなどは都心で行われることも多く、子育てが終わった今であれば、可能であれば都会で暮らす方が様々なメリットがあるように思われました。
かといって相続した実家は築50年近くの『昭和の家』であり、すぐに私たちが引っ越せる状態ではありませんでした。プロに相談すると、増築部分の段差が激しく、雨漏りなどもあり、リフォームすれば一軒建つくらいの費用が掛かるとのことでした。夫は今さら家を建て替えてまでして引越しすることには消極的でしたが、多少ローンを組んで貯金などをかき集めれば何とかなるかもしれないという希望が見え、計画を進めることになりました。運の良いことに、夫の実家は足立区の防火特区にあり、住宅の建て替えにおける古家の撤去費用は補助金で賄えることがわかり、何とか計画が動き出しました。
今度はマンションのようにワンフロアで生活が完結するような動線が良い家。メンテナンス費用がかかりにくい凹凸の無いシンプルなオール電化の家を立てることが基本的な考えでした。それ以外の余計な希望はすべて切り捨て、新居が完成したのが2016年の11月末。そして暮れも押し詰まった12月末の引っ越しとなったわけです。かくして私は西新井のおばちゃんになりました。