お昼からずっーと寝てます。
そして、うたた寝しかけてる姿を
ジーーッとしてたら
くしゅんっ!?
人間みたいなくしゃみw
そのあとは、首がかくんかくん
し始めたので、また寝かけてるんだなって
頑張って起きようとして
背筋を伸ばしたりしてるけど
眠さには負けちゃうのか
カクンカクンw
おでこあたりをナデナデすると
歯ぎしりするのはよくあるけど
ここのところ
ぼーとしてて寝かけるときにも
歯ぎしりするようになった気がする(´ω`)ノ
リラックスしてる状態?なのなかなー
今回の記事。気になったので、引っ張らせてもらいました。
「治療をやめるのが怖い」「子供がいなければ家族になれない」-。不妊治療をやめられない理由は、人によってさまざまだ。
NPO法人、「Fine(ファイン)の松本亜樹子理事長は「治療中は、妊娠がゴールになってしまう」と指摘する。不妊治療をしていると、子供が欲しいという気持ちがどんどん強くなり、妊娠だけが目標となってしまいがちだ。
松本理事長自身も不妊治療の経験者だ。「私自身、治療中は夫婦2人での生活が想像できず、病院に行くのをなかなかやめられませんでした」と振り返る。
だからこそ、「自分が何のために子供が欲しいのか、どんな人生を歩みたいのか、しっかりと考えることが大切。治療に疲れたら、休んで立ち止まってもいい。自分の答えを見つけてほしい」と松本理事長は言う。
■やめる年齢を決めておいても…
不妊治療に対する区切りの付け方は人それぞれだ。
「妊娠するための治療から、次第に自分を納得させるための治療になっていきました」
そう振り返るのは、東京都に住む佐藤留美子さん(51)=仮名=だ。不妊治療をした9年間は、夫婦2人で生きる道を選択するための時間だったという。
35歳のころから、不妊治療のクリニックに通い、精子を子宮に注入する「人工授精」を行なった。しかし妊娠せず、毎月、生理が来る度に落ち込んだ。
「40歳になったら治療をやめよう」。当初自分で決めた、やめ時を過ぎても病院に通い続けた。
「治療を続けていたら、1人くらい子供が授かるはず」
治療は、体外で精子と卵子を受精卵にして、子宮に戻す「体外受精」にステップアップした。初めての体外受精のときには、「妊娠したら、妊娠生活をブログで書きたいな」と期待が高まった。しかし、妊娠は成立しなかった。その後も、体外受精を重ねたが、子供に恵まれないまま、時間が過ぎた。
最後の体外受精は、46歳のときだ。44歳のころから、生理が乱れ、白髪も増えた。「これはもう、出産に適した体ではない」。老いを感じていた。しかし、「最後だからうまくいくかもしれない」という思いもあった。
最後の体外受精の妊娠判定の日。医師から、陰性の判定を告げられると「今回で治療をやめようと思います」と口にしていた。
「子供のいる家庭に憧れていたから、子供を授からないからといって、すぐにあきらめることはできなかった。治療を積み重ねるなかで、子供のいない人生を、自分が納得できたんだと思います」と振り返る。
もともと趣味が多かったので、今は友人と会っておしゃべりをしたり、夫とおいしいものを食べたり。毎日を楽しく過ごしている。
「治療のやめどきは自分で決めるしかない。ただ、治療をやめたからといって、不幸せになるわけではないんです。子供がいないから不幸だと思われたくないし、自分でも思いたくないのです」
■次第に治療にのめり込み…
埼玉県の小宮町子さん(47)は34歳から不妊治療を始めた。最初は産婦人科を受診し、専門クリニックを経て、大学病院に転院。「子供は自然に授かれば」と思っていたのが、次第に治療にのめりこんでいった。
自分にも夫にも原因が見つからず、体外受精を繰り返した。体外受精の費用は1回40万円ほど。「最先端の治療だし、これだけお金をかけたらできるはず」。「今回は運が悪かっただけ」。
だが、卵子を育てるために使うホルモン剤の影響で、おなかが張ったり、ぼうっとしたり。気分の浮き沈みが激しくなり、赤ちゃんを見るのも嫌になった。
「治療をいつまで続けたらいいの?」
先が見えない不安にうつ状態になった。治療のやめ時は常に頭の片隅にあった。しかし、夫から「治療をやめようか」と提案されると、「私のことを分かってくれない」「今やめたら努力が全て無駄になる」と反発した。
最後の採卵は41歳のときだ。受精卵が2個できて、1個を子宮に戻したが妊娠せず、残った受精卵を凍結した。この受精卵を戻す日が、最後の治療になる-。妊娠できるイメージがわかず、治療を先延ばしにした。
それでも、採卵から1年半後の平成23年3月、クリニックに予約を入れた。しかし、数日後に東日本大震災が起きてキャンセルすることに。さらに、震災直後に父が脳梗塞で倒れてしまったのだ。
後遺症で、言葉を失った父と過ごす日々は、自分を見つめ直す時間にもなった。「もうこれだけがんばったんだから、治療をやめてもいいんじゃないかな」。父がそう言ってくれた気がした。
最後の採卵から3年、44歳のときに、クリニックから、受精卵の凍結を延長するかどうかのお知らせが届いた。1週間後、「破棄」に丸を付けてポストに投函した。
破棄された受精卵は、もしかしたら赤ちゃんになっていたかもしれない。今も「ごめんね」と思う気持ちは残っている。「凍結した受精卵を破棄したことが一つの区切りになりました。でも、これでおしまいっていうスッキリした気持ちにはなれませんでしたね」。
NPO法人、「Fine(ファイン)の松本亜樹子理事長は「治療中は、妊娠がゴールになってしまう」と指摘する。不妊治療をしていると、子供が欲しいという気持ちがどんどん強くなり、妊娠だけが目標となってしまいがちだ。
松本理事長自身も不妊治療の経験者だ。「私自身、治療中は夫婦2人での生活が想像できず、病院に行くのをなかなかやめられませんでした」と振り返る。
だからこそ、「自分が何のために子供が欲しいのか、どんな人生を歩みたいのか、しっかりと考えることが大切。治療に疲れたら、休んで立ち止まってもいい。自分の答えを見つけてほしい」と松本理事長は言う。
■やめる年齢を決めておいても…
不妊治療に対する区切りの付け方は人それぞれだ。
「妊娠するための治療から、次第に自分を納得させるための治療になっていきました」
そう振り返るのは、東京都に住む佐藤留美子さん(51)=仮名=だ。不妊治療をした9年間は、夫婦2人で生きる道を選択するための時間だったという。
35歳のころから、不妊治療のクリニックに通い、精子を子宮に注入する「人工授精」を行なった。しかし妊娠せず、毎月、生理が来る度に落ち込んだ。
「40歳になったら治療をやめよう」。当初自分で決めた、やめ時を過ぎても病院に通い続けた。
「治療を続けていたら、1人くらい子供が授かるはず」
治療は、体外で精子と卵子を受精卵にして、子宮に戻す「体外受精」にステップアップした。初めての体外受精のときには、「妊娠したら、妊娠生活をブログで書きたいな」と期待が高まった。しかし、妊娠は成立しなかった。その後も、体外受精を重ねたが、子供に恵まれないまま、時間が過ぎた。
最後の体外受精は、46歳のときだ。44歳のころから、生理が乱れ、白髪も増えた。「これはもう、出産に適した体ではない」。老いを感じていた。しかし、「最後だからうまくいくかもしれない」という思いもあった。
最後の体外受精の妊娠判定の日。医師から、陰性の判定を告げられると「今回で治療をやめようと思います」と口にしていた。
「子供のいる家庭に憧れていたから、子供を授からないからといって、すぐにあきらめることはできなかった。治療を積み重ねるなかで、子供のいない人生を、自分が納得できたんだと思います」と振り返る。
もともと趣味が多かったので、今は友人と会っておしゃべりをしたり、夫とおいしいものを食べたり。毎日を楽しく過ごしている。
「治療のやめどきは自分で決めるしかない。ただ、治療をやめたからといって、不幸せになるわけではないんです。子供がいないから不幸だと思われたくないし、自分でも思いたくないのです」
■次第に治療にのめり込み…
埼玉県の小宮町子さん(47)は34歳から不妊治療を始めた。最初は産婦人科を受診し、専門クリニックを経て、大学病院に転院。「子供は自然に授かれば」と思っていたのが、次第に治療にのめりこんでいった。
自分にも夫にも原因が見つからず、体外受精を繰り返した。体外受精の費用は1回40万円ほど。「最先端の治療だし、これだけお金をかけたらできるはず」。「今回は運が悪かっただけ」。
だが、卵子を育てるために使うホルモン剤の影響で、おなかが張ったり、ぼうっとしたり。気分の浮き沈みが激しくなり、赤ちゃんを見るのも嫌になった。
「治療をいつまで続けたらいいの?」
先が見えない不安にうつ状態になった。治療のやめ時は常に頭の片隅にあった。しかし、夫から「治療をやめようか」と提案されると、「私のことを分かってくれない」「今やめたら努力が全て無駄になる」と反発した。
最後の採卵は41歳のときだ。受精卵が2個できて、1個を子宮に戻したが妊娠せず、残った受精卵を凍結した。この受精卵を戻す日が、最後の治療になる-。妊娠できるイメージがわかず、治療を先延ばしにした。
それでも、採卵から1年半後の平成23年3月、クリニックに予約を入れた。しかし、数日後に東日本大震災が起きてキャンセルすることに。さらに、震災直後に父が脳梗塞で倒れてしまったのだ。
後遺症で、言葉を失った父と過ごす日々は、自分を見つめ直す時間にもなった。「もうこれだけがんばったんだから、治療をやめてもいいんじゃないかな」。父がそう言ってくれた気がした。
最後の採卵から3年、44歳のときに、クリニックから、受精卵の凍結を延長するかどうかのお知らせが届いた。1週間後、「破棄」に丸を付けてポストに投函した。
破棄された受精卵は、もしかしたら赤ちゃんになっていたかもしれない。今も「ごめんね」と思う気持ちは残っている。「凍結した受精卵を破棄したことが一つの区切りになりました。でも、これでおしまいっていうスッキリした気持ちにはなれませんでしたね」。
