先日、コピアベートさんの一斉遠隔セッションの1回目を受けました。

 

このブログにも書いていましたが、セッションが始まるまえから気分の落ち込みはあるし、

なんだかイライラしてしまうし、セッションエネルギーが流れているからと

(一応)わかっているものの、それでもやっぱり落ち着かず、、、。

 

なのにセッションが始まった時間ぐらいから、心も体もスッキリ!

 

さすがコピアベートさん!! と喜んでいたのですが、この喜びは束の間でした(白目

 

 

セッションの翌日に父のところへ行ったのですが、まぁ、イライラすることばかりです。

 

前回、父のところへ行ってから10日ほどしか経っていないのですが、

また、荷物がまとめられていました、、、。

 

父が荷物をまとめるのは、長年、住んでいた団地に戻るため。

 

軽度の認知症とは言え、引っ越した理由をプレゼンしたあとからは、

この荷物をまとめる行為は落ち着いていたのですが、それが再燃、、、。

 

荷物をまとめていても、出ていくこともないし、実際に行動に移すことはありません。

 

だからこそ(私の勝手な思い込みだとはわかっているのですが)

どうしても私にかまって欲しくてこんなことをしている、としか思えないのです。

 

なのでイライラはMAX、、、。

 

心の中で舌打ちしながら、片付けました。

 

 

そして頂いたセッション・リポートに書かれていたのは、

もう思い当たることが山ほどありすぎて、改めて言語化してもらった、という内容でした。

 

それは私が 「父」 という存在が表す、いろいろなことに対して、

怒りと憎しみがあることです。

 

 

例えば、古今東西問わずある家父長制度。

「家」のなかで、家長である 「父」 が絶対的な権力を持っていること。

そしてそれを許している社会制度や慣習、風習などなど。

 

これがあることで、「家」に縛られ、「土地」に縛られ、「家族」に縛られ続ける人生を

ただ生きざるを得ないこと。

 

この状態で生きること自体が、苦しいし辛い。

 

なので私が許せないのは、「父」だけでなく「家族」もです。

 

 

私が宇宙から持ち越している気質、本来、持っている性質は、

独立心や新しいものをこの目で見てみたいというような挑戦者としてのマインド。

 

今は、恐れエネルギーがありすぎて、挑戦者どころか引きこもりを拗らせていますが、

それでも常々、思うのは、ありとあらゆることに拘束されることが何よりも嫌いだということ。

 

例えば、何かに、誰かに拘束されること、束縛されることを少しでも考えるだけで、

息苦しさを感じるし、嫌いを通り越して、憎しみすら感じてしまいます。

 

なので認知症になって私を今、この場に拘束している父のことが許せないし、

憎しみの感情が沸き上がってくることもままあります。

 

そうは言っても、父が存在しなければ、私自身も存在し得ないことは理解しています。

 

だけど、、、。

だけど、です。

 

なんの権限があって、私を拘束しているんだ?! と思ってしまうのです。

 

 

だからなのかぁ、、、と、もう納得することしきりです。

 

父の面倒をみることも、父が嫌いだと思うことも、私の自由を奪う存在としか思えないから。

 

振り返って思い出せば、ほぼ子育てには関与せず、

自分の思い通りの進路や選択をしなければ、ただ文句を言うだけの父。

 

なのに認知症になったからと言って、面倒を見てもらうことを当然のことと思っている

(ように私からは思われる)父に対して、正直、心から面倒をみたいとは思えません。

 

それに私が年を取って、父のような状態になったら誰が面倒をみてくれるの? とか、

なんか私が父から受け取ったもの以上のものを求められている気がしてならない、とか

もう、ここ書き連ねるのは憚られるようなドロドロとした感情もあります。

 

 

だからなのかぁ、、、。

 

家族、というものに居心地の悪さや違和感を感じていたことも、

家族を持とう、持ちたい、なんて野心(?)も欲もなくて、こんな私は変だと思っていましたが。

 

「父」だけでなく「家族」というものが、ただ私の自由を奪う存在だと思っていたのか、、、

と、ものすごく納得したリポートでした、、、。

セッションは蓋を開けてみなければ、本当、何があるのかわかりませんね。

 

 

さて今週末は、2回目のセッションです。

どんなセッションになるのか浄化を怠らず楽しみにしようと思っています。

 

 

いつもサポートしてくださるガイドさんと高次元の存在に感謝します!