私には人並みのサイキックしかありませんが、

一時期、自分の過去世を思い出すことが多々ありました。

 

 

過去世を思い出すこと。

 

正直、何のために思い出しているのかわかりませんでした。

そして思い出してもいいことがない。

 

だって、そのときのネガティブな感情があふれ出て、

すでに終わったことであるのにも関わらず

当時と同じ感情を追体験し、嫌な気持ちになっていました。

 

 

そんなとき知った

日本の哲学者、大森荘蔵氏が考えた「過去制作説」。

 

これは、

 

過去は ≪もはやない≫ ものであり

未来とは ≪まだない≫ もの

そして ≪ある≫ のは現在だけ

 

という説です。

 

 

簡単に説明すると

 

想起するという行為は、過去の原体験を思い出すことではなく

現在においての ≪過去形体験≫ であって

出来事を過去形で表現することは

物語を制作することと同じ

 

という考えです。

(簡単に説明できているかわかりませんが)

 

 

でも、この考え方を知って思いました。

 

過去はいくらでも書き換えられる。

 

ネガティブな過去世もネガティブな感情も、過去の自分と今の自分は違う。

だったら書き換えられるかも。

 

じゃあ、やってみよう。

そう思って、積極的に取り組んでいた時期がありました。

 

 

ですが、『「今」を生きることが大切。』 となれば、

なおさら過去世を思い出すことの意味は何なんだろう、

と改めて、疑問に思うようになりました。

 

 

今までの私は、過去世で起こった 「出来事」 だけに注目し、

その過去世で、その人生になるべくしてなった、そもそもの 「原因」 に

注意を払ってこなかったような気がします。

 

例えば、そんな人生にしてしまうような、私自身の思考癖やし損ね癖。

もちろんそれだけではなく、呪術や積み重ねてきたカルマなど。

 

 

「原因」 も 「出来事」 も、一緒くたに考えていて、

きちんと切り分けて考えることをしていませんでした。

 

「原因」を取り払わなければ、同じことの繰り返しになるのに、

「出来事」だけに囚われ続ける。

 

 

なんだか今さらですが、そんなことにも気づかずに

ぽややんと過ごしていたのか、、、と、自分のことながら

うっかりしすぎにもほどがある、と呆れています。

 

今は、過去世を思い出すことはありませんが、

もし思い出したら、そういった視点で見てみようと思います。