パリ五輪のバレーボールで、日本の明井寿枝さんが審判員として選ばれた。


東京五輪に次いで2度目である。



北海道で教員をしながら国際審判員の資格をとり、オリンピックの檜舞台まで登り詰めた。



国際審判員ともなれば、外国語もそれなりに話せなければならず、ルールも英語で覚えねばならない。



相当の努力が必要だった筈だし、何よりも時速100kmを超えるスパイクを見極めるだけの動体視力が求められる。



オリンピックの歴史に名前を残すのは選手だけではない。もちろん、日本の金メダルと共に、その名が刻まれればそれに越したことはない。