少し前から新聞の連載で、瀬古俊彦が取り上げられている。


日本マラソン界のかつての英雄だ。



1978年の大学3年時から福岡国際マラソン3連覇。1980年のモスクワ五輪では優勝候補となりながら、日本のボイコットで涙を飲んだ。



足の故障を抱えながら世界トップのレベルを維持した調整手法は凄い。



今さまざまな選手を抱える自分にとっても参考になるものだ。



陸上好きは、全員瀬古ファンだった。期待通りの走りと、期待通りのラストスパート。



我々のヒーローだった。



瀬古の着ていたアシックスの水色のウインドブレーカーは、自分も買って持っていた。



1984年のロス五輪では優勝候補ナンバーワンだったが、途中でまさかの後退。



バイト先のテレビの前で、力が抜けていったのを、今でもよく覚えている。



真夏のマラソンは、通常のマラソンとは全く異なる。



だからこそ涼しいモスクワで走らせたかった。優勝の可能性は非常に高かった。



オリンピックで負けた瀬古だが、その記録とカリスマ性が色褪せることはない。



今はお茶目で陽気な陸連幹部。



かつての険しい面影はなく、テレビに頻繁に出てくれるのも嬉しい限り。



新聞の楽しみがまたひとつ増えた。