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ジョージ・ロイスを知っているか?

今日、YouTubeでたまたま、
米版『エスクァイア』の伝説的な
アートディレクター、ジョージ・ロイスの
インタビューを発見しました。

ジョージ・ロイスは、1960年代、
エスクァイアが最も輝いていた時代を象徴する人物のひとり。

アンディ・ウォーホルをキャンベルスープの中に沈ませたり、
モハメド・アリをたびたび表紙に起用したり('60年代にですよ!)、
女性にひげ剃りをさせたり(ウーマンリブを揶揄してます)と、
グラフィックデザインの可能性を、ザクザクと切り開いた
偉大なる男です。
(「MTV」のロゴも、彼の作品です。)


昨年は、MoMAでも回顧展をやっていましたね、そういえば。
Esquire編集部より。


以前、『闘うグラフィックデザイン。』特集の取材で
自宅へお邪魔した際には、
ちょうど足を骨折したばかりで弱っていたのか、
「おじいちゃん、大丈夫?」といった感じだったのですが、
上記の動画を見る限りでは、まだまだ全然元気なご様子で、
非常に安心しましたよ(毒舌だし)。

休刊のこと、伝えなければ。
いや、おそらくハースト社から聞いてるかな。

でも、連絡してみます。

もし返事が来たら、ここでご紹介させていただきますね!


Esquire編集部より。
『エスクァイア日本版』2005年7月号
「闘うグラフィックデザイン。」

吉岡徳仁さんからの手紙

吉岡徳仁さんから、応援メッセージを頂きました!


『21_21 DESIGN SIGHT』での
セカンド・ネイチャー展」も大好評のうちに終了し

3月28日からは、監修を務めた
カルティエ クリエイション めぐり逢う美の記憶』が
東京国立博物館で始まるなど、
活躍のフィールドは、ますます広がるばかりですね。


ミラノサローネの準備もあり、
きっとご多忙を極めていることかと思います。

そんな中、温かいメッセージをお送りいただきまして、
誠にありがとうございました!


<以下、吉岡さんからのメッセージ>

僕は、プロジェクトの取材だけでなく、
今までご一緒させていただいた数々の企画が頭に浮かびます。

デザインは、発表される場や紹介してくれる媒体がいて、
そこに見る人の感情が加わることではじめて、
作品として完成すると思っています。

エスクァイアは、デザイナーが作品に込めたメッセージを
多角的な視点から捉え、それをまだ目にしたことがない読者に対しても、
本物感を伝えようとする真摯な想いが感じられる、雑誌です。

デジタル化が加速し、CGで何でも創りだすことができる
デザインの世界も広がっています。
でも僕は同時に、自然が生み出す偶然の美しさを
発見するときの喜びや感動も、
自分のものづくりの中で大切にしています。
雑誌も同じなのではないでしょうか。
紙に触れ、一枚ずつページをめくる時の独特の期待感や余白が創りだす
空気感とそこに広がる驚き。

エスクァイアを見てわくわくしたいな。
一日も早い復刊を願っています。

吉岡徳仁


個人的には、2002年の
ミラノサローネ・デビューの模様を密着取材させていただいたり、
ボンベイ・サファイア デザイナーグラスコンペティション』の
お仕事で、2002年から2008年までご一緒させていただいたりと、
間近で吉岡さんのお人柄やお仕事ぶりに触れる機会が多く、
編集者冥利に尽きるなと、常に感じておりました。

これからも「わくわく」していただきますとも。
吉岡さん、少々お待ちくださいませ!

復刊応援サイトに『写真家の部屋』が登場。

元『エスクァイア日本版』の編集者、
瀬尾英男くんを中心に運営されている
復刊応援コミッティのサイトに、
新しいコーナーが登場しました。


写真家の部屋』と題されたこのコーナーでは、
これまでお世話になった写真家の方々が自薦していただいた、
『エスクァイア日本版』とゆかりの深い貴重なショットを
彼らのコメントとともに楽しむことができます。


第一回目は、三浦哲也さん。

フランスで取材をなさった時の、オフショットを
ご提供いただきました。
Esquire編集部より。


今後は、若木信吾さんや森本美絵さん、塩田正幸さんといった
方々がご登場の予定だそうです。

「写真がきれいな雑誌」という評価をいただくことが多かった
『エスクァイア日本版』。その真髄を味わうことができる、
好企画ですね! まめにチェックします。

みなさん、ありがとうございます!



内田樹さんからの手紙。

内田樹さんから、メールを頂戴いたしました。


『私の身体は頭がいい』『子どもは判ってくれない』
『私家版・ユダヤ文化論』『橋本治と内田樹』
『こんな日本でよかったねー構造主義的日本論』
そして、『街場の教育論』……。
個人的にここ数年、一番読んでいたのが内田さんの著作です。

ようやくご縁があって、現在発売中の4月号『もう一度、学校へ行こう。』で
取材をさせていただきました。

Esquire編集部より。


これから続々とお仕事をご依頼できればと、
思っていた矢先でしたのに……。

以下、内田樹さんからいただきましたメールです。


小谷さま

こんにちは。
メールいただきながら、返信が遅くなってすみません。
『Esquire日本版』廃刊の瀬戸際なのですか。

昨日の新聞には『諸君!』が廃刊という記事が出ていました。
この1年間でいったい何冊廃刊や休刊になったのか。
ぼくがよく書いていた『論座』も『月刊現代』もなくなりましたし、
『新潮45+』は必死のリニューアルで延命工作をしていますけれど、
正直言ってむずかしい気がします。
『AERA』も創刊持の100万部が
いまは20万部といいます、これも長くなさそうです。

ある種の社会集団を(性別、年齢、階層などで)「輪切り」的に切り出して、
そこをターゲットとする広告を集中的に出稿して、
そこをターゲットとする記事を書くというスタイル自体が
問われなければいけないのではないかという気がします。

逆に、性別とも年齢とも階層とも、
あるいは政治的イデオロギーとも審美的趣味ともかかわりなく、
「ひろい範囲に散らばる少数の読者」をめざした
ある種の「文体」や「語り口」のようなものを維持できるメディアの方に
生き残るチャンスがあるよう思います。

『Esquire日本版』がある年齢層、ある程度の学歴と年収のある
男性読者を固定的に想定しているなら、
マーケティング的にはむずかしいと思いますが、
ほかのメディアでは代替できない独自の「文体」を
維持しようとしている点はこの状況でも評価に値すると思います。

ハースト社が相手では苦戦すると思いますけれど、
雑誌の廃刊休刊のときに、存続のために戦う編集者というのは
大手の出版社にはいません。
ですから、小谷さんのご努力を貴重なものだと思います。
お役に立てませんけれど、どうかがんばってくださいね。




今回の取材をまとめた
『学ぶ前に学ぶ、学びを識るための基調講義。』と題した文章の中で、
内田さんはこう語ってくれました。


「書物の中には、世界共通の、人類共有のプラットホームがあります。
 その知のプラットホームに立ってはじめて、自分がどのような文化的、
 イデオロギー的な「檻」に幽閉されているのか、
 それがわかってくるはずです。
 リベラルアーツの「リベラル」という語は
「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネによる福音書、8:32)
 という聖書の言葉に基づいています。
 私たちが学ぶのは私たちを幽閉している「臆断の檻」
「無知の檻」から自分自身を解き放つためです。



「人類共有のプラットホーム」とはさすがにいきませんが(笑)
『エスクァイア日本版』も、
知的探求心を持つ大人たちのよき”メンター”として
これからも存在価値があるのではないかと、自負しております。

早期の復刊に向け、もちろんぼくだけではなく
編集部全員、さらにはOBの方々までが戦っています!


内田さん、私信の転載をご快諾いただきまして、
誠にありがとうございました!
『エスクァイア日本版』のスタッフとして
またお目にかかれる機会を、愉しみにしております!


次号は、イタリアンプロダクツ特集。

現時点では、『エスクァイア日本版』も残すところあと3号。

感傷的になっても後ろ向きになっても仕方がないので、
編集部一同、早期の復刊を目指し
それぞれが出来ることを行いながら、
日々の業務を粛々とこなしています。

ついこの間、4月号『もう一度、学校へ行こう。』が
発売になったかと思ったら
(青山ブックセンターさんや丸善さんなどから
 追加注文が入りました! ありがとうございます!!)
もうそろそろ、5月号の校了時期が迫って参りました。

5月号では、『伊印良品。』と題し、
イタリアの職人プロダクツを大々的に取り上げています。

2005年に約1年間ほど休職し、
イタリアへ留学していた友永編集長以下、
数名のスタッフが携わっている今回の特集。

表紙のデザインが出来上がったようですので、
少し早いですが、お見せすることに致します!

Esquire編集部より。


そして、遅くまで作業中の、
編集部員(英語が堪能な萩原くん)の様子も。

Esquire編集部より。


きっと渾身の内容に仕上がっているはずです!
5月号は3月24日(火)発売ですので、
お楽しみに。



菊地成孔さんからの手紙。

本日、菊地成孔さんからお手紙を頂きました。

2005年に一緒にアルゼンチンへ行って以来、
菊地さんには、本当にお世話になりっぱなしでした。

Esquire編集部より。
『エスクァイア日本版』2005年1月号


マイルス・デイヴィスについての原稿をお願いしたり、
蓮実重彦さんと対談していただいたり、
メガネのモデルになっていただいたり、
音楽理論の講義を取材させていただいたり……。

あと、某国産車メーカーのタイアップで、
(UAと)ライブをしていただいたこともありました。


まだまだ、菊地さんにご依頼したい企画が多数ございます。


『エスクァイア日本版』誌上に、
それが掲載される日がなるべく早く訪れるよう
打てる手はすべて打ち、かつ、時代の要請を待ちたいと思います。


以下菊地さんからの手紙↓

「ワタシはアンチ・インターネットの紙媒体派という、
ひょっとしたら絶滅という未来しか残されていないのかも知れない
セクトに属する者です。ですので、エスクァイアに代表される、
アメリカ雑誌文化の極点の匂いを残した、男性のライフスタイルを提案する、
非常に素晴らしい、しかもワタシの人生を直接左右した
(もしワタシがジャズ経由でエスクァイアの熱狂的読者でなかったら、
そして、エスクァイアが2005年にワタシをブエノスアイレスに
派遣してくれなかったら、間違いなく現在のワタシはあり得ません)、
マガジンが休刊する事は、甚だ残念です。

しかし、踵を返す様ですが、現在の世界的文化/経済状況を鑑みるに、
エスクァイア日本版の休刊は、至極当然な事に思えます。
つまり、そういう世の中に成ってしまった。という事であって、
要するにアメリカが変容したのだという事ですが
(ここで言う変容とは、マイクロソフト以降の変容を指すのであって、
現在流行中/実現待機中の、あの「チェンジ」の事ではありません)、
極言すれば、現在、エスクァイア日本版が存続
(売り上げ、支持されている)していたとしたら、そちらの方が不自然です。

とはいえこれは、ペシミズムでも、ましてやニヒリズムではありません。
ワタシは、またいつかエスクァイア日本版が、
当たり前に必要な世の中がやってくると信じています。
その時は既に、エスクァイア日本版ではないかも知れない。

とはいえ、何れにせよ「インターネットが雑誌を駆逐した」などという未来は
来る訳がない。現在は、あらゆる意味で熱病の時代です。
この熱が冷めた頃に、エスクァイア日本版は、
再び必要とされ、蘇るでしょう。
在り来たりな言い方ですが、今回の措置はエスクァイア日本版の、
現代に対する最後のメッセージだと思います」


菊地さん、本当にありがとうございます!

昨年弊社から刊行されました
大著『M/D』も、このままですと絶版の危機です……。
何とか、道を探りたいと思います。

Esquire編集部より。
『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスlll世研究』
菊地成孔、大谷能生 共著
エスクァイア マガジン ジャパン ¥4,935 



菊地さんの近況は、こちらから。

3月25日に
南博(piano)さんとのデュオによる
ジャズスタンダードアルバム『花と水』が
発売予定です。

Esquire編集部より。

雑誌は経営者の利益のためだけでなく、読者の人生ために存在しているのです。

本日のタイトルは、ぼくが心から尊敬している編集者
橋場一男さんのブログ『痩せたり太ったり』から拝借しました。


このページにたどり着いた方ならご存知かと思いますが、
橋場さんは、かつてエスクァイア マガジン ジャパンから発行されていた
アート誌『ルカ』の、編集長をなさっていた方です。

当ブログの第一回目に、
休刊に関する「正式リリース」は追々、
と書きましたが、
橋場さんのある日のブログは、
この件に関し、まさに正鵠を射ているのではないかと思い、
ここに、ご紹介させていただきます!

http://hashiba-in-stuttgart.blog.so-net.ne.jp/2009-02-18


当事者の一人としては、
涙なくしては読めない文章です。

橋場さんっ!!!
ありがとうございます。


渋谷慶一郎さんからの手紙。

音楽家の渋谷慶一郎さんから、『エスクァイア休刊』に関して
お手紙を頂戴いたしました。

本当にありがとうございます!

渋谷さんは昨年、雑誌の休刊などとは比べものにならない
悲しみを、ご体験なさいました。

『for maria』という名で7月にリリースされるピアノソロ(!)アルバムの
一曲目の第一音から最終トラック最終音の残響に至るまでを、
ぼくは、粛として謹聴したいと思います。

渋谷さんには、頂いた手紙をブログにて
公開する旨ご快諾いただきましたので、
ここにご披露させていただきます。


音楽家にはどうしても残しておきたい音がある。

同様にこの音楽はどうしても世の中に残しておかなければ
いけないと思うときがある。
ATAKという音楽レーベルのオーナーでもある僕は、
そう感じた音楽だけCDとしてリリースしている。

デジタル・テクノロジーによって音楽を作っていると、
デジタルによるアーカイヴという言葉自体が
完全な語義矛盾であることに気づく。
デジタルデータはある日突然、痕跡も残さず消えてしまうという
儚さを完全性と引き換えに保持している。

だから将来の知性のために残しておくべき情報は
一度かたちにしておかなければいけない。
というよりも、それが一番利便性が高く現実的だという時代は
想像以上に長く続くだろう。

エスクァイア日本版の休刊の報を聞いて残念に思うのは、
こうした危機感とは全く別の次元で決定がなされているに
違いないという想像が容易なことだ。

東京に生まれて東京で育ち、東京から世界に音楽を発信している
僕は間違いなく情報に育てられた。
エスクァイア日本版はそんな中でも貴重なニュースソースであり、
次号の予測が不可能な未知と出会うことのできる数少ない雑誌だった。

あらゆる分野とその作り手の進化に必要な発信と蓄積が
今後もこの雑誌で継続されていくことを強く望む。

渋谷慶一郎(音楽家)


渋谷さんのような方を、ぼくらは『クリエイティブクラス』と呼び
彼ら『クリエイティブクラス』の方々に、何かしら刺激を与える情報を
紡ぎ出すことを、編集の基準として参りました。

特集主義を貫く男性月刊誌は、いまや絶滅種と言ってもいいかもしれません。
(そして『エスクァイア日本版』の休刊により、本当に絶滅しそうです。)

しかし、渋谷さんのお手紙を拝読し、改めて、
「個体識別」が可能な雑誌の存在意義を、思い知りました。

渋谷さん、ありがとうございました!

Esquire編集部より。
渋谷さんの情報は、こちらから↓
http://atak.jp/

おおおっ!

元同僚の瀬尾英男くんが、
『エスクァイア日本版』を応援してくれるサイトを
立ち上げてくれました! ↓

http://foreveresquire.seesaa.net/


瀬尾くんはぼくと同い年で、入社も同じ、2001年でした。

ありがとう!

食べるパンの量を減らしても、快適に生きていける方法。

住んでいるマンションの1階に、ナチュラルローソンが入っているのですが、
今朝みてみたら、『エスクァイア日本版』の最新号が、売り切れていました。
(といっても、毎月置いてあるのは4冊ですが……。)

休刊騒動で注目を集めたのか、それとも特集内容に反応していただけたのか。
複雑な心境です。

さてその『もう一度、学校へ行こう。』という特集は、
ぼくと、若いTくんの2人で担当しました。

表紙は、グラスゴー在住のデヴィッド・シュリグリーにお願いをしました。

トビラ用と合わせ、3点依頼したのですが、8点送ってきましたよ。
ありがとう! 彼にも、休刊の報を伝えなければ……。

Esquire編集部より。
『エスクァイア日本版』2009年4月号



個人的に印象深かったのは、
内田樹さん、松岡正剛さんのお話が聞けたことと共に、
2005年に手掛けた『闘うグラフィックデザイン。』という
特集のときから追いかけていた、イエール大学名誉教授である
エドワード・タフティ氏を取材できたこと。

Esquire編集部より。
『エスクァイア日本版』2005年7月号


映画評論家の町山智浩さんに、
そのタフティの”授業”を受けていただきました。

そして後日、町山さんからは、今回の特集で訴えたかったことが
余すことなく入れ込んである、とても素敵な文章が届きました。
さすが編集者! 
ブログでもご紹介いただきまして誠にありがとうございます!


エスクァイアでは、毎月1回メールマガジンを発信しているのですが、
特集担当者は、それに「特集の裏話」的な文章を書くことになっています。
以下、その文章の転載です。


世界経済が、「史上空前の危機」に瀕している現実に
いまいちピンと来ていなかった人も、年度末の決算期を迎え、
ようやく、ことの深刻さを噛みしめている今日この頃ではないだろうか。
右肩上がりで成長を続けてきた我々先進国のメンバーたちは、
今後、従来型グローバリズムの教科書には載っていなかった方法で、
『ダウンサイジング』を行う必要に迫られることになる。
この状況について、今回の『学校』特集で巻頭を飾っている内田樹さんは、
自身のブログ(2008年11月18日)で次のように書いている。


ホッブズのいう「万人が万人にとって狼である。万人が万人と闘争する」
自然状態への逆戻りしか「縮む」という言葉から思いつかないのが
グローバリスト的ビジネスマンである。

彼らはパンの総量が減ったときには、
「他人の口からパンを奪い取らないと生きていけない」と考える。

彼らは「自分の食べるパンの量を減らしても快適に生きていける方法」
という選択肢が存在することをたぶん生まれてから
一度も想像したことがないのである。


「自分の食べるパンの量を減らしても快適に生きていける方法」。
大なり小なりグローバリズム的な価値観に毒されているぼくらにとって、
これを見つける作業は、なかなかムズカシイ。
今回のエスクァイアは、この方法、言うならば
「2010年代を愉しく生きていく方法」を見つける力こそが、
今ぼくらに必要な『教養』ではないか、
という過程からスタートしている。
だから、『もう一度、学校へ行こう!』という今回の特集には、
MBAを取得するためのビジネススクールだとか、
3カ月で英語が完璧に話せるようになる語学学校といった
”実学”を学ぶための学校は、出てこない。
ここで紹介しているのは、『新しきリベラルアーツ』を学べる学校。
悩みや驚きを伴いながら、人類共通の知のプラットホームへと
たどり着くきっかけを与えてくれる、教養教育の現場、である。

そこでは「自分の食べるパンの量を減らしても快適に生きていける方法」を、
直接教えてくれるわけではない。「じゃあ、上記と矛盾してない?」と
思われるかもしれないが、そうではない。
教養教育、つまりリベラルアーツを学ぶということは、
コミュニケーションの訓練、それも、なんだかわからないもの、
共通の用語や度量衡をもたないものとの
コミュニケーションの訓練、なのだから。
「人類史上、誰も体験したことのない経済状況」を生きるぼくたちにとって、
『大人のリベラルアーツ』は、コンビニエントなカルチャーを
摂取しているだけでは決して起こりえない、
ブレイクスルーの起動装置なのである。