ディエンビエンフー

 

 フエからハノイまでは夜行列車を利用。早朝のハノイ駅で古い友だちで「Raportoj el Vjetnamio」の協力者でもある、ゴク・ランさんが待っていてくれた。

 ハノイからはサパへの1泊バスツアーなどが楽しかったが、ここで取り上げるのは飛行機利用のディエンビエンフー1泊旅行である。ガイドはつかないが、見所は広くないのでガイドブックを参考にしながら歩いて回れる。

 

 街の中心部、小高い丘の上に大きな像が建っている。周囲にはにぎやかな市場もある。

 

 少し歩けばのんびりした農村風景が広がっている。

 19世紀半ばからフランスの侵略が始まり、1887年には「仏領インドシナ連邦」が成立する。 現在のベトナム・ラオス・カンボジアに相当する領域である。ベトナムでは19世紀末頃から独立運動が始まっていた。1930年にはベトナム共産党が結成された。1940年6月、第2次世界大戦でパリが陥落すると、日本軍が進駐し始める。日本の降伏後、1945年9月2日、ホーチミンを大統領とするベトナム民主共和国が独立を宣言。しかしフランスはそれを認めず、再び軍を派遣して植民地を再建しようとし、1946年11月からベトナムの抗仏戦争が始まった。戦争は長引き、そのあいだにフランスはグエン王朝の最後の皇帝をかつぎだしてカイライ政府を作った(ベトナム国=バオ・ダイ政権)。

 1954年5月、次第に優勢になっていたベトナム軍が最後に勝利を決定づけた戦いがディエンビエンフーの戦いであった。フランスはベトナム・ラオス・カンボジアの独立を認めた(ジュネーブ協定)。ベトナムはジュネーブ協定によって、北緯17度線で暫定的に南北に分けられ、1956年までに総選挙で統一国家が作られることになっていた。しかし南部のベトナム国ではフランスに代わってアメリカが反共活動を継続、1955年にゴ・ディン・ジエムを大統領とするベトナム共和国を成立させてしまう。これに対して南ベトナム解放民族戦線が結成され、ベトナム戦争に進んでいった。

 

 古い橋が残されていた(旧ムオンタイン橋)。

 

 歩いているとこんな展示物が目に飛び込んでくる。

 

 ド・カストリー司令部(フランス軍)跡。

 

 塹壕の中はいくつもの部屋。

 

 作戦本部(?)。

 

 博物館ではディエンビエンフーの戦いの様子がわかりやすく展示してあった。

 

 ジャングルの中を人力で大砲を動かす人たち。

 

 電飾を使ったジオラマで戦いの様子をあらわしている。

 

 ベトナム戦士の墓、まだ建設中だった。

 

 別な場所にフランス軍兵士の墓もあった。

 

 最後にA1の丘。鉄条網・迷路のような塹壕などが残され、戦車などの残骸も残る。ここはフランス軍の難攻不落の陣地だったが、ベトナム軍が地下トンネルを作って爆薬を仕掛けて殲滅させた、ディエンビエンフー最大の戦闘記念地である。

 

 塹壕に入るとフランス軍兵士が迎えてくれる。

 

 塹壕の向こうに見える擂り鉢状の穴が爆発跡である。

 

 ここを最後に、私たちの50日間に近いベトナム・カンボジアの旅が終わった。このブログもひとまずここで終わりにします。

中部ベトナム・2014(2)

 

 ホイアンからフエまでもバスで走る。フエでは若い女性エスペランチストが待っていてくれた。まだエスペラントを初めて間がないというが、なかなか上手に話す。いくつかの帝廟なども見て回ったが、今回初めて行ったフォンニャ・ケバン鍾乳洞が素晴らしかった。

 DMZの1日ツアーにも参加。前回とほぼ同じコースだったが、観光化がかなり進んでいた。

 

 ケサン基地への道、美しい農村風景は変わらない。

 

 ケサン基地は広く整地されて戦車や軍用機などが屋外展示してある。

 

 さらに当時の塹壕などが復元されていた。

 

 立派な博物館も出来ていた。

 

 展示物の一部。

 

 ビン・モックのトンネルにも展示場があり、

 

 トンネル内部には当時の生活の様子を人形で展示していた。

 

 これは17度線上のベンハイ川に架かるヒエンルオン橋、橋の真ん中に国境線があり、戦争当時はこの両側に幅4kmの非武装中立帯があって立ち入ることは出来なかった。写真では見にくいが、木製の橋が残されていて、南北で色分けされている。

 

 橋のたもとにある記念碑。真ん中に北と南に引き裂かれてしまった母子像がある。

 

 最後に大きな共同墓地によって今回のツアーが終了。

 

 

中部ベトナム・2014(1)

 

 ムイネーからニャチャンへ(2泊)、ニャチャンからホイアンへ。ホイアンではこの地で喫茶店を経営するエスペランチストUさんのお世話で車をチャーターして、まず周囲に点在するチャンパ遺跡を訪問した。ミーソン遺跡は以前よりも整備されて遊歩道を辿りながら効率よく見学できた。

 

 荒れた地にポツンと立っているこの崩れそうな遺跡はドンジュオン遺跡である。かつてここは東南アジア最大級の大乗仏教寺院だったという。戦争で破壊され尽くしてしまい、いまではこの建物だけが残る。周囲は半分土に埋もれたレンガが大量に散乱している。

 

 翌日はダナンへ。チャム彫刻博物館がおすすめだが、もう一つ、ダナン博物館も興味深い。建物の前に建つこの像はベトナムの英雄 Nguyen Tri Phuong(1800-1873)。フランスの植民地支配に抵抗して戦い、ハノイで捕らえられて最後はハンガーストライキで餓死した。

 

 入り口横には昔の大砲も。

 大規模な博物館で、展示物は、ベトナムの歴史、少数民族の生活の様子、中部ベトナムの動植物など多岐にわたる。

 

 もちろん戦争の歴史も。

 結構見応えはあったが、日本語の解説がないので十分には理解できなかった。

南部ベトナム・2014(3)

 

 2月15日、カンボジア訪問を含めて約3週間のホーチミン滞在を終えて、私と妻はバスで北に向かった。まずは海辺のリゾート地ムイネーで1泊した。美しい海岸で気持ちよく泳いだりして、翌日はタクシーで近くのチャンパ遺跡見学に出かけた。

 

 チャンパ遺跡めぐりは私の今回の旅行の一つの目的でもあった。この近くを歩いていて、思いがけない記念碑を見ることになった。

 

 これには「勝利の記念碑」とあった。碑文によれば、1947年6月14日、Binh Thuan 省の連隊がフランスの要塞を襲撃して全滅させた場所である。これは、フランスの支配に対する9年間の抵抗運動の典型的な戦いの一つである。

 

 近くには要塞の跡らしき古い建物や残骸がさびしく立っていた。

南部ベトナム・2014(2)

 

 ホーチミンでは戦争証跡博物館にも行って来た。建物が新しくなり、13年前に比べて内容がかなり充実していた。

 

 この写真は前に来た時にもあったかも知れない。

 

 これは「虎の檻」の実物大模型である。ベトナムの南、最も近い陸地から60kmほどのところにコンソン島という島がある。1861年、フランスがここにコンダオ刑務所を作って独立運動を行った政治囚などを収容した。1954年には南ベトナム政府に移譲され、主に北ベトナムや解放戦線の兵士を収容した。

 1940年にフランスが作ったのが「虎の檻」である。囚人たちは動物のように閉じ込められ、凄惨な拷問を受けた。

 

 コンダオ刑務所の独房。部屋の天井が格子状になっていて、そこから長い棒で囚人を痛めつけることが出来た。

 現在のコンソン島は手つかずの自然が残る秘境のリゾート地として人気が出ているというが、博物館ではコンダオ島の自然とともに収容所の歴史も学べる。またいくつかの収容所も見学できる。今回は訪問できなかったが、もう一度ベトナムに行く機会があったらぜひ行ってみたいと思う。