鈴木宗男=佐藤優=魚住昭
『鈴木宗男が考える日本』

http://www.yosensha.co.jp/book/b100138.html


鈴木宗男が考える日本 (洋泉社新書y)/鈴木 宗男
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第1部は鈴木宗男さんと佐藤優さんの対談。

第2部は佐藤優さんと魚住昭さんの対談。

(第2部は鈴木宗男さんは入っていません)


佐藤優さんが、鋭い指摘をしています。


「最上層の勝ち組は、得た富を、下層にいる人たち全員が食べていけるだけの再分配なんてしないんです」(同書145-146頁)


全く同感です。


いわゆる新自由主義の立場の中には、勝ち組を強くすることで、最終的に勝ち組の富は、国家が税金を課さなくても、勝ち組によって、富は弱者に分配される、という立論をする人がいます。


しかし、それは私から言わせれば、空想的なものだと思います。勝ち組が富を弱者に配分する根拠など、何もないわけです。なぜか。それは、新自由主義の前提に立てば、稼いだお金は、稼いだ人が何に使っても良い、というのが前提になっているからです。新自由主義の立場からすれば、負け組から勝ち組への請求権は認められないし、勝ち組に、得た富を負け組に分配する義務を課すことはないはずです。すなわち、勝ち組は、得た富を、負け組に分配するはずだ、という立論は、勝ち組の感情に委ねるものに過ぎないのです。しかし、感情は人によって様々なはずです。


ゲームのルールによって正当に勝利した人は、そこで得た富につき、弱い人を助けるために使っても良いのですが、別にそうしなくてもいいのです。極端な話、得たお金の札束を、全て燃やしたって、誰も止めることはできないのです。


「高福祉や再配分政策を強化したって、悪用されたり、国民がかえってやる気を失うので、うまくいかない」、「法人税を上げれば、企業が海外に行ってしまうので、かえって雇用が失われる」という理由から、消極的選択肢としての新自由主義というのはあり得ると思います。しかし、新自由主義にすれば全てうまくいく、という考えには私は賛成することはできません。


私は勝ち組、負け組という言葉は嫌いです。しかし、現実社会は、ますます競争が進み、勝ち組と負け組にはっきり分かれる社会になっていると思います。しかも、前にも書きましたが、社会の中でのゲームのルールを定めるのは勝ち組であり、よほどのお人好しでない限り、自己に不利益なルールを設定する人はいません。そうなると、勝ち組は永遠に勝ち続けることができるルールが定められるのが自然です。そうなると、一度負け組になった者が、勝ち組になることは難しい社会になりつつあります。


現実的な行動としては、とにかく1日も早く勝ち組になること、そしてずっと勝ち続けるための努力をすること、だと考えています。