内田貴『民法改正-契約のルールが百年ぶりに変わる』(ちくま新書)


民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)/内田 貴
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債権法改正の議論状況を知っている人であれば分かると思いますが、民法改正についてはまだ検討段階です。改正が決まったわけではありません。例え法制審議会が改正にゴーサインを出したとしても、立法部門が法律案を通すかは全く未知数です(民主党も、自民党もまだ態度決定はしていないのではないか、と思われます)。したがって、本書の副題に「契約のルールが百年ぶりに変わる」とありますが、まだ決まったわけではありません。その意味で副題は、ミスリードだと思います。


個別規定の手直しや、明文化のみならず、民法(の財産法部分)を、契約法を中心とするルールに組み替える方向性が強くにじんでいます(230頁以下)。その意味で、仮に内田先生の言うとおりの改正となれば、民法の位置づけは、大きく変わることになると思われます。しかしこの点については、特にドイツ法を中心に研究されてきた研究者の先生方や、伝統的な民法学の下で勉強してきた実務家の先生方からは、反発のあるところではないかと思います。


本書では、改正の必要性が詳細に論じられ、また改正に反対する実務界への反論も書かれています。内田先生の立論には説得力を有するのですが、仮に改正されれば、そのルールを使うのは法曹実務界です。どんなに立派なルールを作っても、「現場」が対応できなければ、混乱を招くだけです。仮に改正ということになっても、反対論の強い実務界への粘り強い説得のプロセスは、不可欠と思われます。


民法改正に関する法制審議会の審議は続いていますが、会社法の例を見れば分かるように、法制審議会での提案が、必ずしも条文に盛り込まれるとは限りませんし、法制審議会が想定していなかったルールも条文案に盛り込まれる可能性もあります。会社法と同様、条文化の作業は、法務省の官僚(検察庁(検事)や裁判所(裁判官)からの出向者も含む)と、有名法律事務所の弁護士(形式的には、法務省への出向という扱いになる)によって行われると考えられ、今後出される条文案が何より重要と思われます。


あくまで現行のルールの理解を問う国家試験(司法試験、司法試験予備試験)の受験生は、現在の議論を詳細にフォローする必要はないと思いますし、それより現行法のルールや解釈の理解に力を注ぐべきだと思います。しかし、全く無関心と決め込むのも得策ではないと思われます。仮に改正されれば、法曹三者は、改正内容に対する賛否を問わす、改正法のルールによる事案解決に迫られます。本書などを読むことを通じて、債権法改正の動向に関心を持った方が、長いめで見れば得策と言えるでしょう。


なお、内田先生は「ルールはルールブックに書くべきなのです」(本書111頁)と述べています。こけに対しては、あくまで法典は必要最小限とし、後は「(市民)社会」の解釈の発展に委ねるべきだ、という批判もありうると思います。しかし、「解釈の発展に委ねる」というのは、結局、裁判官や法律学者が力を持つことを意味します。私は、立法権者である政治家が絶大な権力を持つ社会が望ましいとは思いせんが、他方で、一般市民社会から遠く離れた場所にいる、裁判官や学者が、絶大な力を持つ社会も、決して望ましいとは思いません。裁判官や学者は、市民に責任を負わないからです(政治家の無責任体質が昨今問題になっていますが、政治家についてはいざとなれば、選挙で落とすことができます。特に小選挙区制の下では、それがより可能になったと思います)。さらに、現実論として、ルールを書き込むということを100パーセント実現することはできないかもしれませんが、立法に際しては、「ルールはルールブックに書くべき」という目標を、常に持ち続けるべきだと考えています。