こんばんは!たっつんです!
本日は、
電話営業のみならず、
訪問販売、、、もう何にでも為になることをお伝えしたいと思います!
いきなりですが、
皆さんは他人の幸せを素直に喜ぶことができますか?
このことが既にできている人はもう既に何かで成功を収め、人生を楽しく豊かに暮らしていると思います。
一見、「なんのことかな」と思った人もおられるかと思いますが
これが人生で生きていく中ですごく重要なことなんです。
ちなみに僕も小学校の時までは人の幸せや喜びを素直に喜べない人間でした。
でもあることがきっかけで喜べるようになりました。
僕は小学校、中学校、高校と12年間野球をしてきました。
そこで一つ得ることのできたことがあります。
それは、、、
「目標にできる存在」
というものです。
なぜそんなものが入社半年で営業成績会社でNo.1取れるようになった人間になれたか。
皆さんは❓と思うかもしれません。
しかしこれが僕の原点であり、僕が成長した理由なんです。
僕も小学校の時は体も小さく、野球が決してうまかった訳ではありません。
でも自分ではイケてると思ってた、、、笑
中学校に入る時に、同級生のみんなは中学校の部活動を選択にしました。
もちろん野球部です。
しかし僕はあえて、
関西の横綱とも言われる強豪の硬式クラブチームに進みました。
同級生の周りのみんなは、
「お前大丈夫か?」
「あんなところでレギュラーを取ることができると思ってんの?」
「あんな強いとこの練習についていけるんか、すぐどうせ辞めるやろ」
など周りからは大不評でした。
しかし僕はここで一つの賭けにでました。
「ここで、成功して3年後のあいつらとは圧倒的な差をつけてやる」
と決意しました。
中学校に入学して部活動ではなかったので学校が終わればすぐ家に帰ってました。
クラブチームの練習は基本、土日祝日のみ。
平日は水曜と木曜だけ平日練習がありました。
入ってから一週間僕は挫折するまでまで追い込まれていました。
クラブチームの同級生のみんなが、この前小学校を卒業した人間とは思えない動きでした。
自分よりもはるかに体が大きく、力があり足が速く、バッティングもケタ違いでした。
そこで僕は気づきました。
「あ、俺って下手くそなんや」
土日祝日は朝早くから夜遅くまで練習してました。
毎日がヘトヘトでした。
帰ったら夜の10時過ぎです。
この話、中学校の時の話ですよ!笑
そんな日々に耐え続けて2年が経ち、クラブチームの最高学年の中学三年生になってました。
運のいいことに例年よりも自分の年がチームは強く全国大会の常連でした。
入部した時の人数は31人いましたが2年経てば24人に減っていきました。
それほど過酷な状況で夏の全国大会のベンチ入り発表がありました。
ベンチ入りは20人。
僕の名前はありませんでした。
スタンド応援組に回りました。
すごく悔しかった。でもチームのためにできることは必至でやりました。
ベンチ入り落選からの日々も毎日レギュラーをもしかしたら勝ち取れるのではないかと必死に練習しました。
そんな時、チームが強かったこともあり、中学野球では最高峰のジャイアンツカップという大会に参加する権利をもらえました。
ジャイアンツカップのメンバー入りの人数は18人。
もっと過酷な状況になりました。
ジャイアンツカップメンバー発表。
僕の名前がありました。
一瞬頭が真っ白になりました。
レギュラーになろうと必死に取り組んだ成果が。。。
そして、開会式。
東京ドームで関西代表として行進できました。
これは、レギュラーの人間を目標に自分が頑張ってきた成果だと自分でも思います。
そんな存在がいたからこそ僕は大きな舞台に立つことができました。
まさに反骨心でやってました。
このことを電話営業に置き換えれば簡単です。
自分の話でお客さんが幸せになる。
そんなお客さんがいるからこそ今の自分がいる。
人の幸運は必ず自分にも返ってきます。
皆さんも人の喜びを自信に変え、大きな成功を掴んでください。
長かったですが、読んでいただきありがとうございます。
本日は、
電話営業のみならず、
訪問販売、、、もう何にでも為になることをお伝えしたいと思います!
いきなりですが、
皆さんは他人の幸せを素直に喜ぶことができますか?
このことが既にできている人はもう既に何かで成功を収め、人生を楽しく豊かに暮らしていると思います。
一見、「なんのことかな」と思った人もおられるかと思いますが
これが人生で生きていく中ですごく重要なことなんです。
ちなみに僕も小学校の時までは人の幸せや喜びを素直に喜べない人間でした。
でもあることがきっかけで喜べるようになりました。
僕は小学校、中学校、高校と12年間野球をしてきました。
そこで一つ得ることのできたことがあります。
それは、、、
「目標にできる存在」
というものです。
なぜそんなものが入社半年で営業成績会社でNo.1取れるようになった人間になれたか。
皆さんは❓と思うかもしれません。
しかしこれが僕の原点であり、僕が成長した理由なんです。
僕も小学校の時は体も小さく、野球が決してうまかった訳ではありません。
でも自分ではイケてると思ってた、、、笑
中学校に入る時に、同級生のみんなは中学校の部活動を選択にしました。
もちろん野球部です。
しかし僕はあえて、
関西の横綱とも言われる強豪の硬式クラブチームに進みました。
同級生の周りのみんなは、
「お前大丈夫か?」
「あんなところでレギュラーを取ることができると思ってんの?」
「あんな強いとこの練習についていけるんか、すぐどうせ辞めるやろ」
など周りからは大不評でした。
しかし僕はここで一つの賭けにでました。
「ここで、成功して3年後のあいつらとは圧倒的な差をつけてやる」
と決意しました。
中学校に入学して部活動ではなかったので学校が終わればすぐ家に帰ってました。
クラブチームの練習は基本、土日祝日のみ。
平日は水曜と木曜だけ平日練習がありました。
入ってから一週間僕は挫折するまでまで追い込まれていました。
クラブチームの同級生のみんなが、この前小学校を卒業した人間とは思えない動きでした。
自分よりもはるかに体が大きく、力があり足が速く、バッティングもケタ違いでした。
そこで僕は気づきました。
「あ、俺って下手くそなんや」
土日祝日は朝早くから夜遅くまで練習してました。
毎日がヘトヘトでした。
帰ったら夜の10時過ぎです。
この話、中学校の時の話ですよ!笑
そんな日々に耐え続けて2年が経ち、クラブチームの最高学年の中学三年生になってました。
運のいいことに例年よりも自分の年がチームは強く全国大会の常連でした。
入部した時の人数は31人いましたが2年経てば24人に減っていきました。
それほど過酷な状況で夏の全国大会のベンチ入り発表がありました。
ベンチ入りは20人。
僕の名前はありませんでした。
スタンド応援組に回りました。
すごく悔しかった。でもチームのためにできることは必至でやりました。
ベンチ入り落選からの日々も毎日レギュラーをもしかしたら勝ち取れるのではないかと必死に練習しました。
そんな時、チームが強かったこともあり、中学野球では最高峰のジャイアンツカップという大会に参加する権利をもらえました。
ジャイアンツカップのメンバー入りの人数は18人。
もっと過酷な状況になりました。
ジャイアンツカップメンバー発表。
僕の名前がありました。
一瞬頭が真っ白になりました。
レギュラーになろうと必死に取り組んだ成果が。。。
そして、開会式。
東京ドームで関西代表として行進できました。
これは、レギュラーの人間を目標に自分が頑張ってきた成果だと自分でも思います。
そんな存在がいたからこそ僕は大きな舞台に立つことができました。
まさに反骨心でやってました。
このことを電話営業に置き換えれば簡単です。
自分の話でお客さんが幸せになる。
そんなお客さんがいるからこそ今の自分がいる。
人の幸運は必ず自分にも返ってきます。
皆さんも人の喜びを自信に変え、大きな成功を掴んでください。
長かったですが、読んでいただきありがとうございます。