前回ブログでは、
今年のはじめに訪れた アヤワスカ体験
を入り口に「邪気の生態」についてを
深掘りしました。
今回はその続きとして、
アヤワスカ体験の後半で見せられた
邪気とは反対の性質を持つ、
”もう一つのエネルギー”について、
出口王仁三郎氏の教えとも重ね合わせながら、
深掘りしていきたいと思います。
ーアヤワスカー
南米アマゾン地域の先住民文化に根ざした伝統的な植物療法。アヤワスカ体験は、強烈な身体的・精神的な変容を伴うことが知られており、体験談の多くは、深い内省、感情の解放、そして人生を変えるような体験をもたらすとして知られています。
前回の記事でも触れたように、
アヤワスカを通して見えた邪気の姿は
”悪意ある敵”の存在というよりも、
条件がそろったときに発生する、
”地球のある種のメカニズム”のように感じました。
そして、さらにその奥には
影を統合へと導き、
心を本来の姿(自分軸)へと戻してくれる
もうひとつのエネルギーが存在していました。
それが、アヤワスカが最後に示してくれた
“愛善のエネルギー” です。
今回は、この “愛善のエネルギー” が
私の内側にどのように現れ、
何を教えてくれたのか、
その体験からまとめていきたいと思います。
①アヤワスカ体験後半
リトリート施設での滞在が終盤に近づくにつれて、
アヤワスカの儀式に対する私の感覚は
“怖れ”から“深い安らぎ”へと変化していきました。
心も以前よりもずっと強くなり、
儀式の間は、
もう怖さはいらない。
私は自分を大切にする。
と力強い意志を自然と
自分に向けられるようになっていました。
最後の儀式の夜は不思議なほど心穏やかで、
ビジョンには様々な光のシンボルや、
天空を駆ける美しいペガサスまで現れ、
幻想的な時間が静かに流れていきました。
しばらくすると、
施設の高い天井を飛んでいた 一匹の蛍 が
そっと私のもとへ近づいてきました。
そして、その蛍は私の目の前に降り立ち、
「僕はここにいるよ」
と語りかけてきました。
私はそれが幻聴なのか判断がつかず、ただ、
「そこに居たいなら、居てもいいよ」
とだけ伝えて、
再び自分のビジョンに意識を戻しました。
しかし、その蛍はまるで
「もっと気づいてほしい」
とでも言うように、
私の顔の前を輪を描いて飛び回り、
時には頬に触れるようにして、
まるで子どものような無邪気さでじゃれてきました。
やがて、
シャーマンが参加者一人ひとりの前で
祈り(イカロ)を歌い始めました。
その順番が私に回ってきた瞬間、
その蛍はシャーマンのもとへぴょんと飛び移り、
小さな光を点滅させながら、
まるで私を誘うようにこう伝えてきました。
「こっちへおいで」
その蛍に導かれるように前へ進むと、
蛍はさらに静かにこう囁いてきました。
「今は、恐れを手放すことに集中して」
その言葉のとおり、
私はただ “恐れのエネルギー” を手放すことに意識を向けました。
そして、シャーマンのイカロの歌声が
響き出すと同時に、
胸の奥に残っていた邪気のエネルギーが
押し出されるようにして動き始めました。
その夜、私はただ淡々と
浮き上がる”恐れを手放す”作業を
何度も繰り返しました。
そして、儀式が終わりに近づく頃には、
私の感覚は驚くほど研ぎ澄まされ、
浮上してくる“恐れ”がまるで手で掴めるように
はっきりと感じ取れるまでになっていました。
やがて、シャーマンのイカロと蛍の導きのお陰で
胸の中にあったはずの “ざわつき” は消え、
恐れを感知する感覚は残っているのに、
それに飲まれることがない。
まるで、心の中心に
静かに灯る一本の光の柱が
立ち上がったかのように感じました。
そして最後には、
「あぁ、私はもう愛を恐れなくていい」
と自分への愛がようやく“満ちて完成した”
ように感じられました。
儀式が終わった後、参加した仲間から
「君の上をずっと1匹の蛍が飛び続けていた」
と聞いて、
『あの蛍は幻想ではなく、
儀式の間ずっとそばで浄化を手伝ってくれていたのだ』
と、感謝の想いが溢れ出ました。
そして、その存在はまるで、ずっと前から
私を静かに見守り、導いてくれていた
守護の光のように感じられました。
そして、私はこの体験を通して
愛善の生態についてを、
傷ついた心を癒し、見失っていた
「心の柱」を照らし出してくれる
“太陽の光🌞”のような存在だと感じました。
そして、この時もまた、
以前ブログで触れた
一瞥体験のような回想を通して、
邪気が愛善へと変わるその瞬間、
心の内側でどんな変化が起きていたのかを
俯瞰的に見て理解することができました。
以下に、
この時の体験から学んだ愛善の生態と
人間の意識のあり方についての
自分なりの考察をまとめます。
※この考察は、アヤワスカの精霊との神聖な儀式を通して、私が体験的に感じ取った世界観であり、あくまで個人的な洞察です。
②愛善の生態
1. 回復と調和
・まず、回想を通じて明確になったのは、
愛善は傷を癒し、意識を本来の中心へと戻す力があるということでした。
もともと地球には、
バランスが偏った領域を“自然な調和”へと戻す働きがあります。
-
傷が自然に治る
-
森の土壌が浄化され再生する
-
生態系が循環する
これと同じ働きが、
人間の意識においては “愛善エネルギー” として
現れているように感じました。
言い換えると、
愛善は人間の心に備わった「自然治癒力」。
つまり、愛善とは努力によって作り出されるような存在ではなく、
心の柱(中心軸)に意識が置かれた瞬間に流れ出す自然エネルギー。
“外の杖ではなく、内側の柱に意識が戻ったとき”
に、すでに愛善が働き始めていると感じました。
・また、邪気が「奪う」「縛る」「比較する」という
“収縮”の性質を持つのに対し、
愛善は「照らす」「ゆるめる」「調和させる」といった
“拡張”の性質があります。
もし邪気が、力を奪おうとする“枯渇のエネルギー”だとすれば、
愛善は奪わずとも無限に湧き続ける“生命力の泉”のようなエネルギー。
だからこそ、
-
他者を照らしても減らない
-
分け与えるほどに自分も満たされる
というエネルギーの循環が自然に起こります。
2. 愛善が引き起こす共通パターン
・さらに、愛善が広がっていくときには
必ずある現象が起こります。
一言で言えば、それは、
“共鳴”です。
愛善を発している人の近くにいると、
-
怒りが静まり
-
恐れが緩み
-
自分の軸を思い出す
という現象が自然と起こります。
これは相手を“正しさで強制する“ような力ではなく
愛善が周囲を整える力として働いた
エネルギー的な同調現象であるように感じました。
3. 愛善からみた邪気の存在
・そして、今回の体験で最も大きな気づきは、
愛善からみた邪気の存在は恐ろしい悪魔のような
“対立勢力”ではないということでした。
ちょうど、ウイルスが身体に炎症や熱を起こして
弱っているところを教えてくれるように、
邪気もまた、
『心のどこが歪んでいるのか。
どこが弱り、軸がずれているのか
もう一度、中心に戻って整えてね。』
と、心の状態を可視化してくれる
警告信号のように感じられました。
ウイルスや炎症が身体を鍛えるように、
邪気は精神を鍛えてくれます。
影を知ることで光はより強まり、
中心軸はより太く、より明晰になっていく。
-
自己認識を深め
-
中心軸を強くし
-
明晰さを取り戻し
-
愛善の力を育てる
つまり、愛善からみた邪気の存在は
光の対極ではなく、
光へ戻るための案内役であり、
パートナーのような存在なのだと理解しました。
③愛善と感謝
しかし、私たちが生きる日々の中では、
時として理不尽な出来事も訪れます。
そんな時、邪気の働きに惑わされることなく
愛善と共に生きていくにはどうすれば良いでしょうか?
そのヒントとなる答えが、出口王任三郎氏の言葉の中にありました。
出口王仁三郎氏
(幸運な人が絶対に「言い返さない」本当の理由より一部抜粋)
『言い返さないとやられっぱなしで
心が晴れないだけではないか、
そのように思いになりましたか?
それは早とちりというものです。
あなたが言い返すことで満足しておられるのは、
せいぜいその場限りの小さな自尊心だけでございます。
その代償に、
どれほど巨大な幸運をご自身で手放しておられるか、
お気づきになっていないのです。
世の中には2種類の人間しかおりません。
それは外からの刺激に反射的に反応してしまう方と、
どのような嵐が来ようとも富士の山のようにどっしりと構えて動じず、
すべてをご自身の力に変えてしまわれる方です。
あなたはどちらになりたいと思われますか?
もう他人から投げられた小石にいちいち腹を立てて
泥水を跳ね返すような浅はかな生き方は終わりになさいませんか。
言い返したい、まさにその瞬間こそが、
あなたの魂が試されている最大の分岐点
なのでございます。
まず大前提として、あなたに悪意ある言葉を投げかけたり、
理不尽な非難をしてきたりする方は心が冷たく凍えておられる。
ですから、他人を攻撃することでしか
ご自身が生きている実感を得られないのです。
このように想像してみてください。
目の前に泥水が溜まった深い穴がございます。
そこからどなたかがあなたに向かって
泥水を投げつけてきました。
お洋服が汚れました。腹が立ちます。
悔しいでしょう。
そこであなたが「やり返してやる」と
その泥水に飛び込んで、
相手に泥を投げ返したらどうなるでしょう。
相手もあなたも泥だらけでございます。
しかもあなたは、わざわざ
ご自分からその汚れた泥水の穴に飛び込まれたのです。
相手はもともと泥水の中におられた方です。
失うものは少ないかもしれません。
ですがあなたは違います。
あなたはこれから幸運になろうと、
光の道を歩もうとしておられる方です。
それがたった一杯の泥を投げられたからといって、
ご自分から泥まみれになってどうなさるのですか。
相手が発したその濁った淀んだ言葉の土俵に、
あなたがわざわざ降りて行って同じ次元で争うこと
それをなさった瞬間、
あなたの運気は相手の濁った運気と混じり合い、
一気に下落してしまうのです。
相手が泥を投げてきたら言い返さず、
ただ黙ってその場からすっと離れるのです。
あるいはにこりと微笑んで、
別の話題に変えるのです。
相手の土俵には決して乗らないことです。
言い返すという行為は、
未来のご自分に向かって泥を投げつける行為に他なりません。
あなたにマイナスの言葉、
つまり悪口や非難が飛んできた。
それは宇宙の法則から見れば、
あなたにマイナスのエネルギーが贈り物として
届けられたということなのです。
ここであなたが言い返してマイナスの言葉を
返したらどうなるでしょう。
マイナスにマイナスをかける、
あなたの人生はマイナスの泥沼にずぶずぶと沈んでいくだけです。
ですが、もしあなたがその飛んできた
マイナスのエネルギーに対して、
宇宙で最も強力なプラスのエネルギー
をぶつけたらどうなるでしょう。
マイナスとプラスがそこで中和され、
消滅し、ゼロになります。
いいえ、ゼロどころか、
巨大なプラスのエネルギーへと
転換されるのでございます。
その宇宙最強のプラスの言霊、
それが宇宙最強の言葉「ありがとう」でございます。
どなたかに理不尽なことを言われた。言い返したい。
その瞬間まず型を整える。息を吐く。
そして心の中でお相手に聞こえないほどの小さな声で
こう唱えるのです。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう。」
私にこの程度の低い土俵に上がるなと教えてくれてありがとう。
私に自分の型を整える修行の機会を与えてくれてありがとう。
私にこれほど強力なマイナスのエネルギーをくれて、
私の人生を大逆転させる
プラスの燃料にしてくれてありがとうなのでございます。
お相手に向かって感謝する必要はございません。
お相手はあなたを次のステージに上げるために、
わざわざ悪役を演じてくださっている役者さんのようなものなのです。
感謝すべきはその背後にある宇宙の仕組み、
その摂理に対してでございます。
あなたが怒りに震える心で、
それでも理不尽に「ありがとう」と唱えた瞬間、
あなたのそのドロドロとした怒りのエネルギーは、
この「ありがとう」という聖なる火によって浄化され焼き尽くされます。
「言い返さずありがとう」と唱えることは、
ご自身の魂をご自身で磨き上げることなのです。
言い返してはなりません。
代わりに感謝をなさい。
これが不幸を一瞬で幸運に変える神聖な錬金術なのでございます。
あなたが他人様に向かって祝福の光を放ったならば、
宇宙はあなたに向かって
何万倍もの祝福の光を返してくださるのです。』
④まとめ
今回はアヤワスカの儀式を通して体験した
愛善の世界について解説しました。
考察を深めていくなかで、
これまで点として存在していた体験が、
一本の線として繋がっていくような感覚がありました。
なかでも強く印象に残ったのは、
以前ブログで触れた一瞥体験と
今回のアヤワスカ体験が、
一見まったく異なる出来事のようで、
その本質には共通した核があったことです。
一瞥体験をした時、
私は意識が朦朧とするほど深くエゴと向き合い、
その先で、より高い視点の意識に触れました。
今回も同様に、黒い影が目の前に現れた瞬間、
そこから逃げることなく真正面から向き合い続けたことで、
最後には心の柱に触れることができました。
この2つの体験に共通して起こっていたことは
自分の内側で起こる感情を
「最後まで感じ切っていた」という点です。
どれほど真剣に向き合っても、
その体験は99%では完了せず、
どちらも100%、あるいは
それ以上に感情を味わい尽くす必要がありました。
そして、この“たった1%の差”が、
想像以上に大きな意味を持っていると感じました。
なぜなら、その境界線を越えさせたものは、
自分が向き合っている「恐れ」に対して、
どれだけ心からの感謝を向けられているか
にあったからです。
儀式の中で自己愛を深く感じたとき、
私は邪気を否定して戦うのではなく、
恐れを理解し、影にただ感謝を伝え続けました。
するとその瞬間、邪気は敵であることをやめ、
愛善へと姿を変えていきました。
そして、
このとき気づいたのは、愛善と邪気は本来、
同じ源から生まれたエネルギーであり、
違いを生むのは「在り方」や「視点」
なのだということでした。
出口王任三郎氏も
『世の中には2種類の人間しかおりません。
それは外からの刺激に反射的に反応してしまう方と、
どのような嵐が来ようとも富士の山のようにどっしりと構えて動じず、
すべてをご自身の力に変えてしまわれる方です。』
と語るように、
愛善と邪気の違いも、まさにこの視座の持ち方にあるように思いました。
-
目の前の出来事を
短期的な善悪の視点で捉えるのか、
-
それとも因果応報を含めた
長期的な流れを理解し捉えられているのか。
このどちらの視点に立つかで、
運命そのものを切り拓いていく意識。
黄金時代を生きる人類の在り方
なのではないかと感じています。
とはいえ、私自身もまだまだ学びの途中です。
これからも迷い、傷つき、それでも
前を向いて歩いていけるような
自分でありたいと思っています。
ここまで、
今回発売したRPGゲーム『幸せの定義』
の紹介を兼ねて、
様々なテーマについてを深堀りしてきましたが、
今回綴ってきた考察は内なる心の柱に
向き合うためのひとつの入り口です。
そして、RPGゲーム『幸せの定義』では
今回深掘りしてきたテーマと「心の柱」
についてをさらに深く探求しています。
もし興味があれば、このRPGゲームを通じて
更なる心の冒険へとチャレンジしてみてください🎮✨
また、
このブログを読んでくださった皆様にとっても、
今回の考察の中で何かの気づきがあればとても嬉しく思います。
不定期更新ではありますが、
今後もまた新たな気づきがあれば、
このブログを通して、
そのときの正直な気持ちを綴っていきたいと思います。
最後までブログを読み進めてくださり、
本当にありがとうございました。
ー追記ー
実は今回、
愛善と邪気について深く考える中で、
あるアイデアを思いつき、
新たな絵本の物語が誕生しました。
その絵本のタイトルは
「ジャキと心の瓶」です。
この物語は私自身の体験や気づきをもとに
生まれた一冊です。
物語の中では、
今回の考察では語りきれなかった
別の視点からの愛善と邪気の姿が描かれています。
絵本の中では、邪気を"ジャキ"、
愛善を"太陽の光の精•プレマ"と名付け、
それぞれが物語の登場人物として息づいています。
そして今回、
絵本『ジャキと心の瓶』の発売を記念して
期間限定の無料配布キャンペーンを
開催いたします🎊
📅 開催期間: 2025年12月14日 17:00
から5日間
(Kindle Unlimited 会員の方はもちろん、
今回は 会員以外の方も無料 でお読みいただけます📖)
この機会にぜひ、
ジャキとプレマの世界を通して、
ご自身の心の光や優しさに触れてみてください🕊️
この絵本の物語を気に入って頂けましたら、
是非コメントや感想をお寄せ頂けると嬉しいです🌈✨
📢 お知らせ!
いつも応援ありがとうございます!
この度、RPGゲーム『幸せの定義』が
世界的なプラットフォーム Epic Games Store にて配信を開始しました!
この作品は単なる冒険やバトルにとどまらず、
それぞれの村
「叡智村」「正義村」「自由村」「やさしさ村」
の心の偏りをテーマにプレイヤー自身にも問いを投げかける、
心の奥深くを旅する
哲学×スピリチュアルなアクションRPGゲームです。
魂の探求をテーマにした作品に興味をお持ちの皆様は、
この機会をぜひお見逃しなく!
▼Epic Games Storeの本編は以下をクリック!
-
ゲーム本編は日本語でお楽しみいただけます。
-
Epic Games Store の紹介ページは英語で掲載されています。
日本語での解説は、以下のページをご参照ください。
※無料版のゲーム更新は終了しました。
▼ゲーム問い合わせ及び日本語解説は以下をクリック!

【読者の皆さんへ贈る癒しの音色】
最後に、
今回ご紹介した『幸せの定義』のRPGゲームの中から、
私のお気に入りの一曲をシェアさせて頂きます。
哲学的なテーマを持つこのゲームにおいて、
この曲は魂のオアシスのような存在です。
疲れた時、立ち止まりたい時に聴いてみてください。
皆様への感謝と、ゲームへの想いを込めたこの音楽で、
少しでも心が温まれば嬉しいです。







