あっという間に8月ももう中旬ですねひまわり


自分の誕生月ということもあり、8月は私にとって特別で大切な月。


今年もまた一つ歳を重ねられたことに対する感謝と共に、平和に対して一番意識が向く時期でもあります。









広島と長崎への原爆投下、そして終戦の日。


誕生日と二度の原爆投下日が近いために、子どもの頃は自分の誕生日が嬉しいんだか悲しいんだかよく分からない心境でした。


特に誕生日の翌日に長崎の原爆投下日がやってくるものだから、喜びのあとに悲しみが待っているようなソワソワした感覚を毎年感じて、「うーん。。えー?」と複雑な気持ちになっていたのを覚えています。





子どもの頃、歴史を風化させるなとか戦争を忘れるなとか、どうしてこんなに悲しくて怖いものを忘れずに覚えておけと言っているのか理解できず、戦争なんてみんな忘れてしまえたらいいのに、なんて思っていました。





大人になった今の自分が思うのは、「許せない!」とか「誰が悪い!」とか 憎しみの気持ちで覚えておくのではなくて、自分自身が望む方向を見失わないために覚えておくのがいいのかな、ということ。





私は平和でありたい。

それを忘れないために覚えておく。


責めるためや攻撃するためではなく 私は平和を選ぶ!と胸に刻むために覚えておく、ということです。





言葉に語弊があるかもしれないけど、過去の傷や過ちは(歴史も自分自身の過去も含めて)戒めのためじゃなく教訓として、これからより良い未来を生きるヒントにしないと 経験の意味がないし勿体ないと思うんです。




起きたことは変えられない。

憎んでも嘆いても責めても批判しても、もう起きてしまったことは変えようがない。

だけど、起きたことをきっかけにして 自分の意識や反応を少しだけ変えることなら自分にもできるかもしれない。




少なくとも、その経験をする前の自分では気付けなかった【自分の胸の中にある何か】に気付くことはできそうな気がしますよね。




そういう意味で、経験する とか 知る ということは、それがどんな内容のものであれ 私たちの中の何かを刺激し「私の望みはこれだ」とか「私はこれを大切にしたいと思っているんだ」ということに気付かせてくれる、きっかけのスイッチになると思うんです。




確かに受け入れるにはあまりにつらい歴史や過去はたくさんあるけれど、「許せない!」という憎しみの気持ちだけで振り返ることは、自分にとっても世界にとっても毒にしかならないと私は思っています。




一つ一つの経験や身につけた知識を通して、自分に気付き 自分を知っていく。

起きた出来事の中に 今に活かせるヒントが隠されていないかを探したり、痛みをもう二度と繰り返さないように自分の在り方を変えていく。




そういう角度から振り返る過去には、もしかしたら振り返るごとに何か新しい発見があるのかもしれないなうーんと考察する今年の8月。

もちろん人それぞれ考えや思いは違うと思うし、そこに正解・不正解は無いと思っています。

皆さんは歴史やご自身の過去にどう向き合っておられるでしょうかニコ









今日も読んでいただきありがとうございました照れ


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