ハーブフェスタの休憩時間に椿山荘の庭園をお散歩してきました。
小鳥のさえずり、水のせせらぎ、心地よい静けさ・・
もちろん、もみじ紅葉も美しく、歩いているだけで癒されましたニコニコ
作られた庭園とはいえ、自然の力は偉大です。 
秋歩いていて、以前よりも、見晴らしが良い気がしました。
剪定しただけではなく、樹木を少し取り除いたのかもしれませんね・・。
庭園内には、様々な種類の椿がところどころに咲いていてキレイでしたつばき-2
なんと、この周辺は、古来より椿の自生する景勝の地として知られ、
何北朝時代より、「つばきやま」と呼ばれていたそうです。
この奥には、お食事処があります。
私は、「木春堂」の石焼会席が好きで、
数年前、近所に住んでいたころによく行っていました。
富士山の溶岩プレートで、野菜や、お肉、魚介類を焼くのですが、
なかなか美味しいのです。
近隣には、新江戸川公園など、庭園のきれいな場所がいくつもありますが、
江戸時代の代表的な浮世絵版画家、安藤広重の作品
「名所江戸百景」でも、このあたりが取り上げられています。
明治11年に、山権公が資財を投じて、この地を入手。
つばきやまの名にちなんで、「椿山荘」と名づけたそうです。
約2万坪もあるといわれる、起伏のある地形を生かして、
名園に作り上げました。(椿山荘のお庭は、林泉回遊式庭園)
当時は、明治天皇をはじめ、政財官界の第一人者だちが、
ここで重要な会議も開いたとも伝えられています。
池には大きな鯉が泳いでいました魚
この写真(↑)は、建物の4階からみた、お庭の様子。
かすかに、三重塔がみえると思いますが、これは、山県公爵から
この名園を譲りうけた藤田平太郎男爵が移築したもの。

室町時代末期の作と推定されている三重塔は、
平安時代の歌人として、名高い参議、「おののたかむら」ゆかりの寺に
あったものです。長い間修理の手が行き届かず、放置されていたのを、
大正14年に藤田氏が譲り受け、椿山荘に移築したのです。
その他、歴史をしのばせるような文化財も随所に点在していました。


十三重の石塔
戦国時代の武将で茶人でもあった織田有楽斎(信長の弟)
ゆかりの層塔と伝えられています。
花崗岩製。第一層目には、四方仏が彫刻されていました。
数種の層塔が混在していますが、その一部は、
鎌倉時代の様式を示している、貴重なもの。

古香井(ここうせい)
目白台のあたりは、湧水に恵まれた地。
なかでも、椿山荘の古香井は、秩父水系の
ミネラルを豊富に含んだ名水として知られていました。
(今は、どうなのでしょうね?)
椿山荘で飾られていたツリーは、どれもモミの木を使っているので、香りがとても良かったですラブラブ