一番最後のHappy Birthday 後編
「敦賀さん、お疲れさまでした!」
「ありがとう・・・最上さんもお疲れさま。」
今日最後の仕事であるドラマの撮影を終えた蓮を、先に楽屋に戻っていたキョーコが優しい笑顔で迎えてくれる。
いつもの蓮なら、それだけで十分幸せな気持ちになれるだろう。
でも、今は『笑顔』だけでは足りなかった。
自分の荷物をまとめるために、鞄を置いてあるテーブルへと向かうと自然にキョーコに背を向ける形になる。
そうやって彼女から見えないようになると、思わず小さなタメ息が出てしまう。
・・・出ても仕方がないだろう。
だって、未だに聞けていないのだから。
『おめでとう』の一言を。
社の代理がキョーコだと聞いたときは、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
会ったらすぐに『おめでとう』と祝ってもらえて、今日一日すごく幸せな気持ちで過ごせると思っていたのに・・・。
現実は、そうならなかった。
最初会ったときに言ってもらえなかっただけでなく。
キョーコはその後も蓮がどれだけ目の前で祝われていても『おめでとう』と言ってくれることはなかったのである。
仕事先で顔を合わせる様々な人達から、『おめでとう』と言われているときも。
頂いたたくさんのプレゼントを、テキパキと片付けてくれているときも。
キョーコはニコニコと機嫌良さそうに笑っているだけだった。
今日何度も繰り返されたそのことを思い出すと、自然とまた1つ出てしまうタメ息。
チラッと時計を確認すると、時刻は既に22時過ぎ。
あと少しで蓮の誕生日が終わろうとしている。
というより今日の仕事は全部終わったのだから、後はキョーコを送って帰るだけだ。
その残り少ない時間で、果たして蓮の願いは叶うのだろうか。
・・・無理な気がする。
こんな時間になるまで言ってもらえてないのだから。
もしかしたら、キョーコはもう言ったつもりになっているのかもしれない。
だけど、もしそうだとしても『おめでとう』と言ってほしいなんて、自分から催促するようなことはしたくないし・・・。
「敦賀さん?」
背中から掛けられた声にハッとして振り返ると、キョーコが少し心配そうに蓮を見ていた。
「大丈夫ですか?お疲れでは・・・。」
いつの間にか手を止めて、考え込んでしまっていたらしい。
そんな蓮の姿が疲れのせいでボンヤリしているように見えて、キョーコを心配させてしまったのだろう。
「いや、大丈夫。少し考え事していただけだから。」
何でもないと笑ってみせた蓮は鞄を手にすると、キョーコを促して楽屋を出る。
彼女を送って行く残り僅かな時間。
それが最後のチャンス。
どうか願いが叶いますように、と隣を歩くキョーコを横目で見ながら祈る蓮だった。
そして、数十分後・・・。
・・・おかしい。
何故、こうなったのだろうか。
蓮は自分の家のドアの前で鍵を開ける手を止めて、もう何度目になるか分からない問いを心の中で繰り返した。
誕生日なのに普段と変わらず、ぎっしり詰まったスケジュールのせいなのか。
さっき楽屋で考え込んでしまったせいなのか。
それとも、送る道中の信号待ちの間にキョーコを気にするあまり、うっかり信号が青になったことにも気付かずにいたせいだろうか。
・・・とグルグル考えていると。
「敦賀さん、本当に大丈夫ですか?」
心配そうな表情で、隣に立つキョーコが声を掛けてきた。
「あ、うん、大丈夫。」
また、やってしまった。
こんなことばかりやっているから、疲れているせいで蓮の体調が悪いとキョーコに心配させてしまうのだ。
その結果。
キョーコを送って行くはずだったのに、自分の方が先に帰らされてしまうなんて。
送らなくていいから早く帰って休んでくれ、というキョーコに蓮は平気だから送って行くと言ったのだけれど・・・。
『私は大丈夫ですから、敦賀さんのマンションに向かって下さい!』
『今日の私はマネージャー代理なんですから、敦賀さんが早く休めるようにするのも私の仕事なんです!!』
『いいから、サッサと敦賀さんの家に行って下さい!!!』
運転席にまで身を乗り出してきそうなキョーコの勢いに負けて、結局自分のマンションへと向かってしまったのだった。
でも、やっぱりこのままでは駄目だ。
本当ならオフだったのに今日一日頑張ってマネージャー代理をしてくれたキョーコを、こんな時間に1人で帰らせるなんてことはしたくない。
何とかして送って行きたいのだが、どうやったら説得出来るだろうか。
そんなふうに悩む蓮よりも先に、キョーコが口を開いた。
「あの、敦賀さん。・・・この後はもう絶対に出掛けたりしないで、このまま部屋でゆっくり休んで下さいね?」
そう言われても、蓮は頷くつもりはなかった。
・・・なかったのに。
キョーコがすごく真剣な表情で見つめてくるから、何故か言うとおりにしてあげないといけない気がして・・・頷いてしまった。
その瞬間、キョーコの表情がパッと変わる。
「ありがとうございます!」
満面の笑顔に、蓮は戸惑う。
キョーコの言うことを聞いてあげたことが、そんなに嬉しかったのだろうか。
それなら、まあ・・・いいかな。
本当は今からでも撤回してキョーコを家まで送って行き、少しでも一緒にいられる時間を引き延ばしたい。
欲しい言葉を、ギリギリまで諦めたくないから。
だけど・・・誕生日の最後にキョーコのこんな笑顔が見られたのだから、これで満足しておこうと思った。
だから、もう一度今日のお礼を言って別れようとしたのだが・・・。
「これで、やっと言えます。」
「えっ?」
突然の言葉に驚いた蓮が、『何を?』と聞く前にその答えが告げられる。
「敦賀さん、お誕生日おめでとうございます!!」
今日一日ずっと待っていたキョーコからの『おめでとう』。
諦めようとしたそのときに、ようやく聞くことが出来たその言葉。
でも、あまりにも不意打ち過ぎる。
驚いて咄嗟に何も言うことが出来なくて呆然とする蓮。
そんな蓮の前で、キョーコが焦ったように早口で話し続ける。
「あ、あの、今日はずっと一緒だったのに、今まで言わないで申し訳ありませんでした。で、でも、これには、その、一応理由があって!」
「・・・理由?」
一体どんな理由で、こんな時間まで待たされたのだろうか。
まだ呆然としたまま蓮が問いかけるように呟くと、言いにくいことなのか視線をあちこちに彷徨わせた後でようやくキョーコが口を開く。
「あの、ですね・・・敦賀さんは、私の誕生日に一番に『おめでとう』って言ってくれるでしょう?」
そのとおりだ。
誰よりも早く、キョーコの誕生日を祝いたいから。
前夜からパーティーが開かれることを利用して、この前のキョーコの誕生日も一番に『おめでとう』を告げた。
だが、そのことと何の関係があるのか分からなくて、蓮は次の言葉を待つ。
「だから、本当は私も一番に言いたかったんですけど・・・それは出来ないから。」
電話という手段もあったかもしれない。
でも、蓮にはちゃんと顔を見て言ってもらえたから、自分もそうしたかったのだと。
幸い今日はオフだったから、蓮の仕事の空き時間にでも直接渡しに行けたらいいと思っていたところへ社の代理を依頼されて・・・急に思いついた。
「『一番』最初が無理なら、『一番』最後に言わせてもらおうって。」
一日ずっと一緒にいて色んな人達から祝われている蓮を見て、本当は早く自分も『おめでとう』って言いたくて仕方がなかったのを我慢していた。
少し恥ずかしそうに言うキョーコの姿に、蓮の中に喜びが満ちてくる。
忘れられたわけでも、祝いたくないわけでもなかった。
それどころか、ずっと蓮のことを考えてくれていたのだ。
『一番』がいいと思ってくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
「・・・ありがとう。」
この気持ちを伝えるにはどうしたらいいのか分からなくて、結局出てきた言葉はたった一言だけだった。
でも、キョーコには充分伝わったようだ。
照れたように笑う彼女に自然と笑みを浮かべた蓮は、もう少しだけこの幸せな時間を味わっていたいと思った。
『2月10日』は、まだ後少し残っている。
「じゃあ・・・一番最後の『おめでとう』をくれた人にお願いがあるんだけど・・・。」
だから、これくらいの我が侭は許されるだろうか。
「誕生日の残りの時間、一緒に過ごしてもらえないかな?」
緊張して待つ蓮へのキョーコの返事は、蓮の大好きな笑顔と共に告げられたのだった。
END