このブログは私自身になの日常についてはほぼ触れません。
つまり日記ではないわけです。
ですが日々思うことを
匿名性を最大限に利用して
大人がしらふでそんなこと言うのは
恥だと思う偏見をつづります。
さて記念すべき一発目。
最近、mixiとか、ニュース記事に日記つけてる人の文章を
たまに拾い読みしています。
違った目線からの意見とかは
読んでいてためになるし楽しいけれど
大概は若年層のストレスの発散のための自論展開で。
よくもまぁ横並びにこれだけ短絡した意見を言えるなぁと。
他人が言っていることなら
自分が言うまでもないとか思わないのかな。
もうすこし掘り下げてみよう、とか。
若い頃って脳の若さとヒマにまかせて
くだらないことを延々と考えるもんじゃないですか?
私としては歳をとったほうが短絡的、
即物的になると思うんですけどね。
労力が惜しいから。
眺めていると、
その短絡した意見を書き連ねる行動の原動力ってのは
自分をとりまく狭い世界、自分の生活の中で不満なことを
ニュースの中の人物に投影して
それに対して文句を言ったり、
あるいは同情したりしてるのかなぁと。
推測ですが。
「信じられない、私はそんなことしない。」
「そんなことするヤツは即死刑」
「派遣なんて不安定な職に就いたのは自己責任。」
厳しい他者否定は裏返って
他者に否定された自分を肯定する作業なのかなぁと思います。
わたしはそんなに悪くないから、
わたしはそんなにひどくないから。
上から目線で犯罪を客観視することで
今の自分を、取り巻く環境を肯定するという作業のために
まめまめしくニュースにコメントをつけるのかな。
でもさ。
まぁそういう自己肯定が不毛とか言うのは置いておいても。
思想は自由。思ってるだけなら自由だけど
言葉にしたとたん自分のそれに対しての責任が発生する
あるいはその言葉が
自分の行動への評価に返ってくる、ということを
知っている賢い普通の一般人たちは
ニュースに対してごはんをたべながらぼやいたり
布団の中で色々考えたりはしても
決してブログや公開日記に書いたりしないんだよね。
それは何故なのか。
例えば自分に害をなす人に
死ねばいいのにと思うことは許されていても
死ねと口にすることは許されていないんだよ
これは一例だけども。
それが何故か分からないうちは黙っていたほうがいい、と
この年の私は思うんだけど。
調べもしないで
うつ病に根性論持ち出しちゃう人が恥ずかしいのも同じことよ。
でもまぁ、そのイライラの爆発も若さなのかなぁ。
それを30過ぎて恥ずかしいと思わないなら
それが恥ずかしいけど。
アウチ!自分に返ってくる言葉だね。
こんなところでボヤいてんなってことです。