地に落ちたノーベル賞
カタリン・カリコが生理学・医学賞を取ったって!?
実に不愉快!
ノーベル委員会ももうちょっと理性的な判断をするものと予測していたのだが、これは甘かった。
彼女が開発したシュードウリジン置換mRNAが、自己免疫疾患を避けるために免疫を抑制する機能をもつということは、今では多くの人が知るところとなった。
その結果は、いつまでも終わらないコロナートゥス禍と、感染症・癌に対する抵抗力の脆弱化だ。一つの生理学上の目的を達成したとしても、免疫システムはそうそう単純ではない、達成目標を遥かに凌駕する問題を生じてしまった。
何十年後か知れないが、必ず「あの人にはノーベル賞を与えるべきではなかった」と後悔する日が来るであろう。
こうなったら、ゼレンスキーにも平和賞を受賞させればよい。ノーベル賞の何たるかがはっきり認識できるというメリットぐらいはあるのではないか。
娘のTシャツをかっぱらう
先日、合唱練習に出かけようとしたら、着ていくものが何もない。下は面倒くさいからジーンズを穿いたが、上がないのだ。
少しは保有していたシャツ・Tシャツの類は、脱ぎ捨てたものが部屋の隅に堆(うずたか)く積もっている。洗濯機まで持っていくのを無精した結果だ。『男おいどん』じゃあるまいし、そんな汗臭くなったものをパンパンパパーンと叩いて再び着ていくわけにはいかない。(似たようなもんだな)
時間切迫!
仕方ないから、ベランダに吊るしてあった娘のTシャツをかっぱらって着て行った。
そんなことをすっかり忘れて帰ったら、娘がそれに気づいて「アアーッ」と叫び声を上げた。
「洗って返すからよ」
「もういらない、あげる!」
労せずしてTシャツ1枚ゲット。
と、そこまではよかったが、家内が「何それ、ゼレンスキーが来たかと思った」で、Tシャツ1枚の報酬では足りない不愉快さが襲った。(喜ぶ輩もいるのかも知れんが)
せめて「クリント・イーストウッドが来たかと思った」ぐらいの気の利いたことを言えよ!ってそれは無理か・・・・。
全部聞こえてまっせ
友人のD君と会う約束したのが何日だったかすっからかんに忘れてしまったので電話した。出ないので伝言を録音しておいた。
しばらくするとLINEオーディオでD君からの着信があった。
「もしもし」と応じたが、何の不具合か、向こうには聞こえていないらしい。「おかしいな、おかしいな」言っているのが、こちらによく聞こえる。
そのうち、D君はひどいことをつぶやき出した。多分そばにいる細君に愚痴っているらしいのだ。
「タロウは何やってるんだ。すっかり忘れたんだとよ。こないだも間違い電話をよこしやがってさ」うんぬん。
そりゃあ、約束の日時を忘れた方が悪いし、間違い電話をかけてしまったのも悪いは悪い。しかし、すっぽかしたわけではないので、そこまで憤慨する必要はなかろう、というのが私の感覚だ。
一旦切って、通常電話でかけ直した。
「おお、悪い悪い、出られなくて」と、調子のいいやつだ。
「ごちゃらごちゃら話してたの聞こえたぞ」と言ってやったが、何のことか気づかない様子で、ていねいに約束の日時を教えてくれた。
あのさ、どんな種類のものでも通信機能ONのままで人の悪口を言うのはやめましょうね。ていうか、人の悪口そのものが自分を貶めることになりますよ。自戒の意味を込めて言っておきたい。(でも、オレなんて、あちこちで散々悪口を言われているんだろうなあ・・・・感慨深いですう)
痒くてたまらん
土曜日、デイサービスで歌ったその晩、どうも体のあちこちが痒い。それでも、痒さより眠さが優って、そのまま寝入ってしまった。
ところが、その次の日の晩は、尋常の痒さではない。何度か経験しているピリピリと刺すような痒みだ。真夜中に目が覚め、シャワーを浴びたがあまり効果がなく、とうとう寝られずに朝まで起きてしまった。
この痒み・・・・何のせいなのかは、私の中では見当はついている。過去何度かの経験から、偶然ではあり得ない。必ず盛んに打っている時期と重なっている。
言っては悪いが、合唱に行った後と決まったようなものだ。
私は、未だ確信は持てないけれども、高い確率で~DDINGだと思う。
「周囲の人を安心させるために」打つんだって?
とんでもない、個人的な体験から言えば、打っていないこっちは大迷惑なのである。
では、「何故打った人からはそういう声が聞こえないのか?」と言うんでしょ?
まあ、おそらく肌の感受性の問題もあるだろうけれども、免疫力低下によって、感受性そのものが落ちているという事情もあるんだろうな。
事は個人間の問題ではなく、環境の問題にまで発展してしまう可能性がある。快適に暮らせなくなる環境。
実に不愉快である。