昨日はデイサービスでの招待演奏だった。

 

 

指揮者のK先生が発熱のため欠席だったので、指揮者なしの演奏だった。そのせいでもあるまいが、歌い慣れているはずの曲が失敗だらけで、良い演奏だったとはとてもいえなかったけれども、皆さんが喜んでくれたので、まあよしとしようか。

 

 

『鯉のぼり』と『我は海の子』はテナーパートを歌った。私の声ではいくらか無理気味な高さなのだけれども、両曲ともテナーに主旋律があるので、私がやらなくてはサマにならないという事情があった。

 

 

もう思い切って出してしまう覚悟で臨んだら、わりとすんなりクリアーできたのは幸いだった。録音をし忘れたが、過去の練習録音を聴く限りではそれほど不自然ではないと思う。

 

 

しかし、勇ましい歌だから何とかなったので、これが抒情的な歌だったら不合格だろうな。私がロマンチストになれないのは、きっと持ち前の声に精神が規定されているからに違いない。

 

 

☆☆☆☆

 

 

終演後、練習室で雑談していたら、Aさんが「わたし、7回目を打ってきたわよ」と言った。なにか得意げな様子だったので私は黙っていた。

 

 

Aさんには意見を言っても無駄なのだ。絶対に自説を曲げない人だということはもう分かっているから、言うだけ関係を悪くするだけである。

 

 

Bさんが「わたし、3回でやめたわ。副反応きつかったし」と言った。

 

 

えっと思った。去年の春ごろだったか、彼女が「4回目の予約が取れないのよね」と言ったとき、私は「やめたほうがいい」といいそびれてしまって、そのことが罪の意識のように私の心を責め苛んでいた。彼女が基礎疾患を持っていたから余計である。

 

 

打たなかったんだ、よかった、と思った。彼女と目が合ったので、私は真顔で深く首肯した。

 

 

隣に座っていたCさんが私に、「わたしは4回打ったけど、もう打つつもりないわ」とささやいた。

 

 

「それがいいです。効果はありませんし、免疫を下げるだけですから」とささやき返した。

 

 

 

結局、枠については、なんとなくおかしいと気づく人と、これこそ正義とばかりに打ち続ける人と、二手に分かれてしまった感がある。

 

 

もはや個々人の選択に対して意見を述べるのは無効であろう。結果がどうなるかは運命の女神の手に委ねるしかないようだ。