「積ん読」読書、今日は『小川未明童話集』です。

 

 

 

 

全25編の童話からなるこの作品集の中で、これまで読んだもの、あるいは話の筋を知っているものがどれだけあるのか興味深かったのですが、有名な「赤いろうそくと人魚」ほか4編に過ぎませんでした。

 

 

そのうち2編(「眠い町」と「港に着いた黒んぼ」)は、私が幼稚園に通っていたとき、毎月配られる『キンダーブック』や『チャイルドブック』に絵本の形で載っていた作品でした。

 

 

とくに「港に着いた黒んぼ」は、生涯忘れられない作品になりました。筋書きと雰囲気は、改めて読んでみてもほとんど変わらず、幼い日に受けた強い印象をそのまま保っていました。

 

 

 

簡単に粗筋を書きましょうか。

 

 

ある港町に年端も行かない姉弟の「乞食」がいました。盲目の弟は笛を吹き、美しい姉は歌を歌い、人々の憐みによって糊口をしのいでいました。

 

あるとき姉は、彼女を見初めた町の「お大尽」からお呼びがかかります。姉は弟を一時でも一人にしたくなかったのですが、再三の誘いに負けて「お大尽」の屋敷に赴きます。

 

わずかな時間とはいえ、姉の不在の間、盲目の弟は耐え難い寂しさと不安に苛まれます。そこへ子を亡くした白鳥が舞い降り、南の国はもっと住みやすいですよと語りかけ、心を動かした弟を白鳥に変え、二羽ながらに南の国に飛び立ってしまいます。

 

間もなく戻って来た姉は、町中を半狂乱になって弟を探すのですが、どこにも見当たりません。

 

悲しみの内にも時は過ぎ、ある日港に着いた船から「黒んぼ」が降りて来て、姉に話しかけます。「あなたは南の島で盲目の弟さんと一緒に歌っていた方ではありませんか?」と。

 

そんなことはあるはずがないと否定しますと、「黒んぼ」は、「いや、確かにあなただった。島の王様が金の輿で迎えに来たけれども、あなたは弟が可哀そうだといって承諾しなかった」と言います。

 

姉は、この世にもう一人のもっと善良な自分がいて、弟を連れて行ってしまったのだろうと考え、その島に行ってみたいというのですが、「黒んぼ」は、そこは遠い遠いところで、容易に行けはしないと答えるのでした。

 

 

 

ほんの取るに足らない罪、もしくは罪とも言えないほどの出来心、それが大きな不幸をもたらすという話は、神話や昔話によくあります。しかし、その「出来心」は、自分が思うほど表層的なものではなく、目には見えないけれども深く己の心を蝕んでいるものなのかも知れません。

 

 

私は、ふいとアルトゥール・シュニッツラーの『盲目のジェロニモとその兄』(1900)を想い起してしまいました。ここにその粗筋を書くわけには行きませんが、この短編小説も兄のちょっとした心の迷いが、二人に絶望的な不幸を招き寄せてしまうという話です。

 

 

しかし、「港に着いた黒んぼ」では、姉の心に、弟は別の自分と幸せに暮らしているのだろうと想像することによる、微かな、微かな救いの意識が観察されます。

 

 

芥子粒ほどの救いであっても、人はそれを温め、育てることができます。まことに口幅ったい言い方ですけれども、私はその力こそが「愛」なのだと思っています。