蒼の深さを見上げてみたり。 -2ページ目

蒼の深さを見上げてみたり。

認知症の母との日々や日常の些細なこと、読書の記録などを綴ります。

父が死んで

今日で

7年経ちました。


父の死に際は


大好きな家で

娘たちと奥さんに見守られ

お昼寝の最中に

ゆっくり息が止まっていく。

という感じだったので


痛い。とか

苦しい。とか

とは無縁で


悪くはなかったと

思います。


それでもやはり

人が1人死ぬということは

哀しいことで


しみじみ

思い出してしまうと

未だに

哀しくなります。


哀しくならなくなるときは

来るのでしょうか。


今日は

あまり深く考えず

良い思い出だけを

思い出して


父を偲びたいと

思います。

父が生前使っていた

革(合皮?)張りの

回転座椅子があります。


東側の部屋に

ずっと置かれていたのだけれど


伯父(母の兄)が

昨年

転んだときに


酔っ払って

ふらついて

座椅子に手をかけて

座椅子ごと

転んだらしかったので


しっかりした造りの

父の座椅子だったら

手をかけても

転ばないかも。と


姉が提案して

伯父の家に持っていきました。


それは

私には

とても寂しいことだったのですが


使わない座椅子を

貸さないと言い張るのも


大人げない気がして


何も言いませんでした。


そして

1年近く経ち


伯父が入院したため


座椅子が不要になり


なんとなく

従兄弟のお嫁さんに

捨てられてしまいそうな

気配があったので


姉が

うちに持って帰ってきました。


父は

キレイに使っていたのに


ぼろぼろになって

タバコの匂いが染み付いて


帰ってきました。


とても哀しくなりました。


父の思い出が

また一つ

失くなった気がしました。


私は

思い出を処理するのが

とても下手だと思います。


一つ一つのものにある記憶が

昨日くらいの距離で

とどまっていて

いつまでも

遠い過去のものに

なりません。


それが

外力に依って

無理矢理

失われてしまうことが

とてもツラいです。


座椅子は

タバコの匂いが抜けないので

もう

捨てるしかないでしょう。


とても

残念でなりません。

母を連れて歩くと


大人しくしてるときと


絶好調で

いろいろ喋るときとが

あります。


今日は

内科と

もの忘れ外来に

行ったら


絶好調でした。


内科に飾ってある

造花を見て

キレイだねー。

とずっと言ってるし


もの忘れ外来では


あら、あの人背が高い。

あら、あの人体重が•••。


1人で

テレビを見て

笑ってる分には

いいのですけど


よそ様のことに

言及し出すから


黙ってて!と

止めました。


そして


チックなのか

なんなのか

ずっと

たたたたた。と言ってる

おばあさんがいて


それに反応して

笑い出すから


相手の人に

気づかれないかと

ひやひやものでした。


もの忘れ外来で

先生と話すのも


全く

噛み合っては

いないものの


何だか

延々と喋ってました。


喋りたい

気分だったんだな。


私にしてみれば

いつも

大人しくしていただけると

大変

ありがたいんですけど


認知症の症状的には

活発なほうが

いいのでしょうか?


分かりませんが

お喋り母の隣にいると

疲れます。